「笊<ざる>で水を汲んでみよ」
禅問答のような明主様のこのお言葉は、このご面会の数日前に教団最高幹部が集まった席で発せられた。居合わせた幹部たちはいかに明主様のお言葉とはいえ、とうてい無理な話で、いずれ何らかの説明があるものと思っていた。
これは昭和二十二年頃、東山荘での「五六七<みろく>会」ご面会時に明主様が話されたことです、と当時を回想しながら大武一雄が語ったことである。
ご面会場の信徒たちもみな、笊で水を汲むことなど不可能だと思っていた。
席上、明主様は、
「誰一人として私の言葉を素直に実行した者はいませんでした」「しかし、ここに例外がありました」
と、少し大きな声で、信徒たちの顔をのぞき込むように仰せられた。
「みなさん無理と思うでしょうが、笊で水が汲めるんです。容器を用意して、そこに笊で汲んだ水を入れるのです。一回の量はまことにわずかだが、五十回、百回と繰り返せば水は汲めるんです。それを実行した人は渋井さんただ一人です」
笊で水を汲むことに謎解きはなかった。明主様は、ごく当たり前のことを当たり前に説明されただけであった。大事なことは、總斎が明主様の言葉に寸分の疑いをはさまず、ひたすらお言葉に従って無条件で明主様のみ心を受け実践したことである。「五六七会」の信徒たちは一切自慢話をしない普段の總斎の態度と相まって、明主様に仕えることの本当の姿勢を深く心に刻み込んだのであった。笊で水を汲むことが可能か不可能かを理性で判断することでなく、明主様のお言葉を絶対と信じ素直に従うということが重要なことであることを教えられる。
渋井總斎はまさしく“御用の人”であった。“御用”とは神の理想とする真・善・美が具わった世界を地上に実現するためにある。それは浄霊により病み悩む人を救済し、神様への奉仕、献金等によって御神業にたずさわる信仰者のあるべき姿をいうのである。これはひとり専従者だけでなく、一般信徒もこの“御用”に励むことはいうまでもない。
今日、本教における信仰者としてのあるべき姿勢、また明主様に絶対帰依するあり方を問い直す“原点回帰”が今ほど求められている時はないといえよう。この際最も不可欠なことは、私たちの先達がどのように信仰を実践していたか、言い換えればどのような姿勢で“御用”を果たしてきたかを振り返り、信仰の姿勢、御用のあり方をそこから汲み取っていくことではなかろうか。
渋井總斎の生涯をたどってみると、總斎はまさに無私の精神で明主様に仕えた人であった。だとすれば、私たちは總斎の“御用”の足跡を顧み、その真実に学ばなければならない。總斎の御用は明主様のご指示によって実践されたものであるが、それは当然神への御用であった。總斎が身をもって示した御用は、私たち信徒一人ひとりが習うべき姿として残してくれたと考えることが肝要なのである。
總斎の明主様に対する仕え方、奉仕の姿勢は、余人にはまねのできるものではなかった。それでは一体どのような姿で明主様にお仕えしていたのであろうか。残念ながら私たちの前には、すでに現身<うつそみ>の明主様及び總斎も存在しない。明主様と總斎は霊界においてもこの世を超えた固い絆で結ばれ、總斎は明主様の御用を行なっていると推察できようが、この世の私たちはその姿のありさまをしかとうかがい知ることはできない。總斎がこの世で行なった明主様へのご奉仕の数々を追うことによって、今でも行なわれているに違いない霊界での總斎の御用を想像しうるだけである。