無意味な散財は避け、欲はほどほどに

 すべては神様からのお預<あず>かりものでありますから、なるべく無駄<むだ>をしないように、無意味な散財<さんざい>は避<さ>けなければいけません。そして、少しでも多く、神様の御用のために使っていただく、という心がけが大切であります。それを実行しておりますと、必要なだけのものは、不思議<ふしぎ>にどこからか入ってくるものです。また、反対に贅沢<ぜいたく>なもの、不必要なものを買ったときには、どうしても苦しくて入ってこないのです。これは私にも経験<けいけん>がありますから間違いありません。

 人間は神様と獣<けもの>の中間の動物<どうぷつ>と言われておりますように、神性面と獣性面<しんせいめんじゆうせいめん>をもっておりますが、神様の道ではよい言霊<げんれい>を用いて、獣といわず副守護神<ふくしゆごじん>と称<しよう>して、神様として扱っております。しかし、実は獣性で、飲みたい、食いたい、着<き>たい、といろいろの欲望<よくぼう>をもっておりますが、あまりその方へ奉仕<ほうし>してしまいますと、身体<からだ>に故障<こしよう>ができたり、いろいろつまらないことが起こります。しかし、副守護神も必要だから憑<つ>いているのでありまして、押<おさ>えてばかりいてはいけません。あまり押えますと反動がきますから、これを上手<じようず>に使えばいいと思います。ですから、たまには羽根<はね>を伸<の>ばしてやることも、神様のお許しのうちなら結構<けつこう>です。

 要するに、信仰者だからといっても人間なのですから、大いに浩然<こうぜん>の気を養<やしな>ってもよろしいのですが、ただ肝心なことは、神様の名を汚<けが>したり、教えの道を汚すような行動は、死んでもやらないという、固<かた>い決意を持って行動していただきたいと思います。