追善供養<ついぜんくよう>の大切なことはいうまでもないことでありますが、追善を受ける方がどこにおられようとも、行なって差しつかえないものであります。
たとえば、天国におられても、地獄<じごく>にいようとも、また再生して現界に生まれて来ておられても、その人のためにと思って行なう追善ですから、チャンとその人の所へ届くのであります。
それによって、その人がしらずしらずに豊かになるのであります。
また、亡くなられた人を恋<こ>い慕<した>い、懐<なつ>かしむことは、美しい人情ではありますが、ただいたずらに〝ああ惜しかった惜しかった。もう一度この世へ引戻したい〃という想念で悔<くや>み歎<なげ>くのは、せっかくこの世の絆<きずな>を解かれて、天国の新生活に向かって上昇していこうとする、死者の精霊を苦しめるものですから、死者の向上を願って、〝あとは私どもで引受けましたから、どうぞ速かによい所へ昇っていかれるように″と、一度でも多く、祝詞や御讃歌を奏<あ>げ、こちらから力をつけてあげるという想念が一番大切であります。