未熟な信者もよく理解し、親切に導く

 信仰も最初の段階では、自分の幸福とか、悩<なや>みを除<と>ってもらいたい一心<いつしん>でありますが、信仰が向上し、だんだん神様がわかるにつれ、他人や世の中のためになりたいと願うようになるものであります。それで、他人<ひと>の信仰が低いといって笑<わら>う人は、自分がかつて同じ境涯におったことを忘れているのであります。私どもは常に大きな心をもって、未熟な人をよく理解<りかい>して、親切に導いてさしあげたいものであります。