明主様に神習って若き血を

 地上天国建設への情熱<じようねつ>も、おそらく青年が一番であると思います。ただし、その熱<ねつ>が熱するのも早いが、冷<さ>めるのも早いというのでは困ります。どこまでも信仰に根<ね>を下<お>ろした、深いものであってほしいと望みます。そして、何ごとがあろうと恐<おそ>れず、屈<くつ>せず、初一念<しよいちねん>を貫<つらぬ>くという、強い意志<いし>の持主となっていただきたい。青年の体力はそれを可能にするでしょう。また、青年のよさはその純粋<じゆんすい>さと、行動の敏捷<びんしよう>さにあります。青年が消極的<しようきよくてき>、退嬰的<たいえいてき>になったらもうおしまいです。少々の失敗や過<あやま>ちにかかわることなく、勇敢<ゆうかん>に、沈着<ちんちやく>に前進することです。

 青年時代の明主様は、人並外<ひとなみはず>れて独立自主<どくりつじしゆ>のご精神が強く、身体は病弱でしたが、それを克服して広く見聞<けんぷん>を求めて、暇<ひま>あるごとに講演<こうえん>を聴<き>かれたり、読書をされたりして、人間としての成功の秘訣<ひけつ>をさぐられました。また、御教えにもございますように、異常なまでに社会の悪を憎<にく>まれ、社会革正<しやかいかくせい>のためには、まず、新聞を発行するにかぎるとまで考えられたのです。それくらい社会の善化<ぜんか>、美化<びか>ということに、若き血を燃<も>やしておられたということも、思えば後年救世教の教祖として、立たれる運命にあられたことが頷<うなず>かれます。

 しかし、こうした感情を例外とのみ思ってはいけないと思います。みなさまも、どうか明主様に傚って、善のための闘志を燃やされ、社会浄化、人間改造のため、能うかぎりの活動をしていただきたいと、切に切に望むものであります。