罪穢を背負っておる人びとが、悔い改めて神の道につこうとするときは、まず、神さまから重荷を除かせられるので、いったんは苦しい目に遭<あ>うこともあります。しかし、ひたすら神さまを念じ、信仰を違<たが>えず辛抱<しんぼう>しておれば、神さまはともに重荷を負うてくださって、きわめて短期間に修業を終らせ、清明無垢<せいめいむく>の身にしてくださるのであります。浄まったあとは誠の宝をお授けくださるのですから、この神さまの大愛がわかりましたなら、ありがたくてたまらぬはずですが、初期のうちは、この間の消息がわからぬため、とかく不足や愚痴<ぐち>がでるのでして、思えば恐れ多い次第であります。
「栄光 三七〇号」