この事について私は以前もかいた事があるが、今日の世の中を見れば見るほど不幸な人が余りに多いので、一層徹底的にかいてみるのである。言うまでもなく昔から人間の運不運ほど厄介な問題はあるまい。誰しも人心がついてから死ぬまでの間、この考えから離れられないのが人間としての必然性であろう。というのは最も分りたいと思う事っほど、最も分り難いのが世の中の常であるからで、少しでも分るとしたらこれほど結構な事はあるまい。ところが、幸いなるかな私はこの根本がハッキリ分ったのである。そればかりか実地経験によっても少しの間違いはないので、ここに確信を以て説くのである。
それについては誰も知る通り、一口に運といってもこれほど茫漠<ぼうばく>たるつかまえどころのないものはあるまい。しかも自分ではどうにもならないので、あなたまかせより致し方がないのはもちろんで、これが運というものであろう。誰かが言った「人生は大賭博なり」とは宜<むべ>なるかなである。従ってどんなに偉いといわれる人でも、一応は諦めてはいるが、中々悟りきれないもので、これが人間の宿命とでもいうのであろう。そこで何とかして幸運を掴みたい一念から活動も出来る訳である。それが為ありもしない智慧を絞り、欲しい成りたいの苦労のしつづけで終るのが人生というものであろう。そうして運位皮肉なものはない。掴もうとすればするほど逃げてしまう。西洋の諺に「幸運のチャンスは前髪のようなもので、通る瞬間掴まないとおしまいだ」というが全くその通りである。
私の長い経験によっても、運という奴に始終からかわれているような気がする。訳なく掴めそうで中々掴めない。目の前にブラ下っているから手を出すとスルリと抜けてしまう。追いかけようとすればするほど逃足の速い事、全く始末の悪い代物だ。ところが私はこの運という奴を確実に掴えたのである。だがそれを説明するに当って困る事には、信仰者ならイザ知らず、一般人には中々分り難い点がある。というのは物を見る場合上面だけを見て中身を見ない事で、否見えないのである。ところが運に限って因は中身の方にあるのだから、これが分らなければ運は決して掴めない。という訳は人間が肉体を動かす場合、肉体自身が動くのではなく、中身にある心が動かすのであるから、幸運もそれと同様中身が肝腎である。その訳を詳しくかいてみよう。
まず右の理を押し広げるとこういう事になる。すなわち上面とは現実界であり、中身とは心霊界という目に見えない空間の世界である。これがこの大世界の組織であって、造物主はそう造られたのである。故に心が肉体を動かすごとく、霊界が現界を動かすのである。しかも一切は霊界が主で現界が従であるから、運といえども霊界にある霊の運が開ければいいので、そのまま体に映り幸運者となるのはもちろんである。では霊界というものを一層詳しくかいてみるが、霊界は現界よりも厳正公平な階級制度になっている。それが上中下百八十の段階になっていて、六十段ずつ三段階に分れている。もちろん上が天国、下が地獄、中間が中有界<ちゆううかい>といい現界に相応している。
こんな事をいうと、今日の人間は直<ただち>に信じられまいが、私は神から詳しく知らされ、その上長い間霊界と現界との関係を実地経験によって、底の底まで知り得たのであるから、寸毫<すんごう>の誤りはないのである。何よりもこの理を信じて実行に移し、幸運を掴んだ人は今までに数え切れないほどあるばかりか、私自身としてもその一人である。それは私を客観的に見ればすぐ分る。私がいかに幸福な境遇であるかである。そこで今一歩進めて右の段階を説明してみるが、前記のごとく人間の体は現界に、霊は霊界にあるとしたら、百八十段中のどこかに居る筈であって、つまり籍のようなものである。しかもこの籍は一定しておらず、絶えず上下に移動しており、運命もそれに伴う以上、人間は出来るだけ上段に昇るよう心掛くべきである。言うまでもなく下は地獄界で、病気、貧乏、争いはもちろん、魑魅魍魎<ちみもうりよう>、百鬼夜行<やぎよう>、暗黒無明の世界であって、あらゆる苦悩が渦巻いている。これに反し上段へ行くほど反対に良くなり、天国浄土的平和光明、健富和<けんぷわ>の理想境であり、中段は中位である。
以上のごとく霊界の籍通りが体に移り、運命となるとしたら、霊の地位向上こそ幸運の根本である事が余りにも明らかである。何よりも事実を見ても分る通り、世間よく出世をして人から羨まれるようになり、自分もいい気持になって、いつまでも続くと思っていると、豈計<あにはか>らんやいつしか失敗転落、元の木阿弥<もくあみ>となる例もよくある。というのはこの理を知らず、人力にのみ頼りすぎるからで、しかも人を苦しめ、無理をする結果、形だけは成功しても、霊は地獄に堕<お>ちているので、霊主体従の法則によりその通りの運命となるのである。そうして霊にも物貿と同様重量があり、重ければ地獄に堕ち、軽ければ天国に上る。昔から罪の重荷というが、その通りで、悪の行為は霊が曇り重くなるに反し、善の行為は軽くなり上へ昇るのである。故に人間は悪を慎み、罪を作らないようにする事で、出来るだけ善を行い、霊を軽くする事こそ幸運の秘訣である。これが真理である以上、これ以外方法のない事は断言するのである。といってもなるほど理屈は分るが、さて実行となると中々難かしいものである。ところが容易に出来る方法がある。これこそ信仰であるから、幸運を得たい人は何をおいても、まず信仰に入る事である。
(明主)