根本の善を見つめて

 人間というものは、すべてにおいて善にあれ、悪にあれ、人として生まれてきたからには、すでに浄いものをもって生まれてきているのですから、これを神様のご分霊<ぶんれい>として尊重<そんちよう>し、根本的に好意<こうい>をもっていくのです。お互いに好意をもちあうこと、これが地上天国の一番の秘訣<ひけつ>であります。

 しかし、根本的には好意をもたなくてはいけませんが、その扱<あつか>いはみな同じではありません。つまり、根本的に好意をもちながら、その人の善悪により、また、時所位<じしよい>によって、その人の扱いは千変万化<せんぺんばんか>していかなければならないわけです。悪いものに対しては、ときには怒<おこ>らねばならぬこともありますし、忠告<ちゆうこく>をして恨<うら>まれることもありましょう。しかし、恨まれてもよろしいと思います。ほんとうに好意から出たことならば、後日<ごじつ>必ずありがたかったといって、その真心はわかってもらえるのです。この好意をつくしあうという以外にないということを、心得ていただきたいと思います。