罪穢(めぐり)が、その人なりその家なりにあって、それが清算されていないときには、いいことをいくらしたいと思っても、罪穢のためにおさえられて、八方塞<はつぽうふさ>がりのようなことになるときもあるのです。けれども、これは大きな意味からいうと、神さまから修業させられている時代なのであります。信仰者は、そういうときであればあるほど、ますます神を信じ、神を祈り、その中からできるだけ良いことをしていくというように、これつとめていくことです。そうすれば、かならずある時期にいって罪穢<めぐり>が清算されますから、そのときには、なんでもかなえられるという境地にあがっていくのであります。