奇蹟が生んだ忘れ物

 当時、新宿・角筈の治療所には杖の忘れ物が山ほどたまり、その置き場に困っていた。足が悪く杖に頼らなければならない人が、ようやくたどり着いた治療所で、たった一回の治療でたちどころによくなってしまう。その結果、急に自由に歩けるようになった喜びに、思わず杖を使うのを忘れて置いていってしまうのである。もし一回の浄霊でよくならず、二度、三度と治療所に通う人であれば、必要な杖を忘れるはずもない。

 初めての、ただ一回の浄霊で奇蹟的によくなるから、みなわれを忘れて杖も忘れていくのである。いわば奇蹟が生んだ“忘れ物”である。

 また、奇蹟が生んだ“落とし物”もあった。角苦の治療所は、当時としては珍しい三階建ての木造住宅であった。洋服商としての一階はそのまま店舗に、三階が治療所に充てられ、その後、住居専用部分であった二階も治療用に充てた。三階建てとはいえ普通の店舗にすぎない。ここに總斎の浄霊を受けたいと願う人びとが連日百人以上も、朝早くから夕方終了時までつめかけたのである。その中には、さまざまな病気の人がおり、煉獄に身を置く思いをしている人も多くいた。しかし、どのような病気であれ、ほとんどの患者は日を追うごとに元気になり、一週間もすると誰の目にもこの人があの時に苦しんでいた人かと思うほどに恢復する。そのことは患者にとっても、また總斎自身にとっても喜ばしいことであった。

 ところが普通の店舗に連日百人以上の人が訪れると屎尿の処理がたいへんである。当時の東京では大部分の便所は、市の清掃員と近郊農家の人びとの役務による汲み取り式であったが、一般の家庭の便所はこれほど多くの来訪者に対処するようにはできてはいない。しかも現在のような水洗式ではないので、ちょっと気配りを怠ると、大便の方は下から盛り上がってしまい、使える状態ではなくなってしまう。処理するため樽一杯いくらと値を決めて農家に汲み取ってもらうことになった。

 しかし、汲み取りに来てくれる人は、
「お宅のはあまり肥料にはありがたくないんです。病人ばかりのですから農作物にはあまりよくないんですよ」
 と言う。来てもらえないと困ったことになるので、機嫌よく続けてもらうため、患者からいただいた品々を渡していた。