私は既存医学の誤りを余す所なく説いたつもりであるが、読者は読み了っていかなる感想が湧起したであろうか、恐らく余りにも意想外なる新説に驚歎されたであろう。
人間が最大貴重としている生命を一日も延長し寿齢の長からん事を冀う<こいねがう>と共に、健康の完からん事を欲求する事は、あまりにも当然である。その目的を達成せんが為の医学の在り方であるに拘わらず、実はその事自体が健康を破壊し、寿齢を短縮させるというのであるから唖然たらざるを得ないと共に、私のこの発見が、全世界に対しいかに未曾有の重大問題を提供するかという事である。もし今日においてこの発見が無かったとしたら、全人類の未来はいかになりゆくであろうか、まことに慄然たらざるを得ないのである。その最悪の結果としては人類の滅亡であり、そうでないとしてもある程度の大減少の暁発見なし得たとしても、滅亡直前においての挽回はけだし容易ならぬものがあろう。
以上は人口問題に関しての将来観であるが私は他の面に向っても検討すべき問題がある。それは戦争と飢餓である。これ等の問題についても、古今東西あらゆる碩学、その時代の卓越せる政治家、識者等の頭脳によって検討し尽されつつも、尚未だ解決の緒にも着かないという現実は何を物語るものであろうか。それは問題の根本に触れないが為である。しかるに私はこの問題についての解決方策をも発見し、併せてここに述べんとするのである。
しからば、その解決策とは何ぞやというに、これは前人未見の説であるから、読者はそのつもりで熟読されたいのである。そもそも戦争発生の根本原因としては国家の構成分子たる個々人の性格である。今日までの戦争原因のそのほとんどは英雄の野望と、封建的軍国主義者等の企図による事は明白であるが、又それ等に引入れられ、賛同し、援助するという、国民にも一半の罪はあるであろう。したがってまず考えなければならない事は、その時代における好戦国人民個々人の性格の検討である。言うまでもなく平和を欲せず、争いを好むという意念である。
私の発見によれば、争いを好むという性格は帰するところ不平不満と愛の欠乏からであり、その原因としては不断における不快感である。そうして不快感なるものを分析する時他動因と主動因とあり、他動因とは偶発するところの悪事情であるが、これは時間的に大半は解決さるるものである。しかるになんら悪事情なきに係わらず、主動因である不快感は取除けようがない事は誰しも知る所である。しかもこの主動的不快感は、普通事情までも悪事情化する恐れがある。事実常に不平不満、後悔、愚痴等を連発する人はこの種の人で、又この種の人は自己反省がなく、不平不満の原因を他動的に解釈し勝ちである。その表われとして人を怨み、社会を呪い、排他的観念に陥りやすいのである。かの共産思想が個々人の不幸の原因がある程度自己の罪にもある事を閑却し、社会事情に因るとなし、それを闘争によってのみ解決出来得るとする所以もこの所に在るのであると共に、資本家の横暴もまた愛の欠乏による事はもちろんである。
この意味において戦争の原因が、人間個々人の不快感にありとすれば、その不快感の除去こそ問題の根本的解決であらねばならない。しかるに、それは本医術によってのみ解決なし得るのである。何となれば不快感の原因が薬毒であり、薬毒保有者は常に身体のいずれかの部分に浄化発生があり、その為であるからである。しかるにいかなる人といえども不快感は何の為なるやを知らず、先天的自己の性格と信じ、ただ漫然と不愉快なる生活を営んでいるに過ぎないので常に人を嫌忌し、怒りやすく悪いと知りながら争わずには居られない、不利と知りながら勤勉になり得ないという–その事が又不平の因となるという訳である。
かく観じ来る時、戦争の原因を除去する方法としては、薬剤を人類から廃止する事と現在個々人が保有している薬毒を除去する以外ないのである。したがって本医術の普及こそ平和確立の根本義である事を知るであろう。
そうして以上述べた以外貧乏の問題がある。貧の原因が、小にしては個人としての霊肉共に不健康であるからであり、大にしては戦争とそうして悪政治の為である事はいうまでもない。したがって本医術によって健康も、戦争も、貧乏も解決なし得るとしたら、光明輝く地上天国出現といえども、敢て夢想でない事を知るであろう。
本書に対し『天国の福音』という題名を付した所以もここ所に在るのである。