神様の分霊と化身に就て

 「分霊と化身に就て」

 分霊とは″わけみたま″といい、人間にはないが、神様はいくつにも霊を分けられる。しかし神社で同じ神様を方々で祀る場合、神の分霊というが、本当をいうと、家来の直系とか傍系などの神様もある。

 しかし天御中主大神(あめのみなかぬしのかみ、あまのみなかぬしのかみ)とか、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かむみむすびのかみ)とかはそうでないが、伊邪諾尊(いざなぎのみこと)、伊邪冊尊(いざなみのみこと)、天照大御神などは、人体をもって一度この世に現われ給うた神であるから、爪や頭髪を分けて祭られたのである。

 化身で一番重要な事は、仏は全部神の化身であって、夜の世界の間は仏の世であるから、神々は全部仏に化身された。天照皇大神が大日如来、月読尊が阿彌陀如来、稚姫君尊(わかひめぎみのみこと)が釈迦如来というようにである。したがって、仏滅という事は仏が皆元の神格に還り給う事である。

 善言讃詞に「観世音菩薩此土に天降らせ給い、光明如来と現じ応身弥勒と化し」とあるが、観音は伊都能売の神であり、ミロク神(ミロク大御神)の化身である。したがって、いずれは観音という御名も無くなる時が来る。霊界では既にほとんどなくなっている。

「教えの光」 昭和21年05月20日

教えの光