教祖は「大日本観音会」を立教し、この地上に天国を創造しようと神命のままに立ち上がったが、この理想を実現するにあたってその両輪となるものは、神与の救済力と、神から知らされた真理であると確信していた。そして神与の救済力を、できる限り実証的に説いたものが「日本医術講習会」であり、これに対して、神の経綸と観世音菩薩の実体、神・幽・現三界の実相、また人間の使命など、神示に基づく真理を説き明かしたものが、「観音講座」と呼ばれる宗教講座であった。
この講座が始まったのは昭和一〇年(一九三五年)七月の一五日であるが、その四日前の七月一一日に、教祖はその内容についてつぎのように話している。
「今度観音会の教は──教といってもはまりませんが、今迄の習慣上判り難いから、教義を立てるんですが、それにつき観音講座といふものを開く事になりました。
今迄の宗教又は宗教に類似のものにないものを発表するんで、之は、天地経綸の真相で神様が観音会によって光明世界を建設さるるといふ、凡ゆる意味を発表さるるのであります。」
観音講座は一〇年(一九三五年)七月一五日に始まって、月三回ずつ開講されたが、その講座の内容、日時、受講者数は、つぎのようになっている。
開講年月日 講座内容 受講者数
昭和一〇年七月一五日 第一講座 主神の御目的と天地経絡の真相 一一四名
七月二五日 第二講座 宗教の根源と救世主の出現 一二七名
八月 五日 第三講座 観世音菩薩の本体 一一二名
八月一五日 第四講座 神・幽・現三界の実相 一二三名
八月二五日 第五講座 善悪の真諦と光明世界の建設 一二〇名
九月 五日 第六講座 日本と外国の使命 一四〇名
九月一五日 第七講座 病気及絶対健康法の原理 一四〇名
右のように足かけ三か月、七回にわたり、観音会の教義について教祖はみずから講義を行ない、全講義を終了した者には教祖から「宣導使」の資格が授与された。この講座は「大日本観音会」教義の基本となり、前にみた日本医術講習会の修得者である治療士の大部分も受講して宣導使となったのである。
昭和一〇年(一九三五年)一〇月五日、教祖の『日記』に、
第二回第一講座に吾も又一時間程講義なしける
とあるが、九月一五日、第七講座まで第一回観音講座が終わると二回目の観音講座が始められた。第二回以降の講座には教祖の肋手として、正木三雄、岡庭真次郎、清水清太郎、中島一斎、松久茂徳、木原義彦、飛弾友三の七名を、順次観音講座講師に任命して、講座を担当させた。観音講座の講義録は出版されずに終わったので、それぞれノートに教祖の講義を筆録した。後の講座は、それに基づいて行なわれたのである。