自分のお導<みちぴ>きした人が、何かの理由<りゆう>で、他所<よそ>の教会員に転じられたとしても、神様の方では、導いた人の功績<こうせき>は功績として、チャンと記入<きにゆう>ずみなのですから、末代<まつだい>に消えるものでなく、また、失われただけの補充<ほじゆう>は、回<まわ>り回って与えていただけるのでありますから、一時の異動<いどう>に心を乱<みだ>すことなく、神様の公平無私<こうへいむし>のおはからいを信じ、自分のつとめさえ怠<おこた>らず努<つと>めておれば、神様は滅多<めつた>に困らせるようなことはなさらないのであります。
ときには不公平と思われることや、割<わり>のわるいことにぶつかることもないともいえませんが、そこをお試しと思って辛抱すれば、必ず後日発展するのです。とにかく、神様を信<しん>頼<らい>した以上、ちょっとしたことで信念がぐらつくようではだめであります。