神様が人間を造られた目的は、人間が神様に代わって地上万物を支配<しはい>し、地上に病貧争<びょうひんそう>のない天国を造ることであります。いわば神様の入れものとして、また、神様の地上天国創造<そうぞう>の機関<きかん>として、人間は造られているのだ、という肝心<かんじん>なことを知らないと、人として生まれた意義も使命もわからぬまま、勝手な真似<まね>をして一生を終ってしまうことになるのであります。
ごく大昔の人間は、心が淳朴<じゅんぼく>で素直でありましたから、神様の存在を疑<うたが>わず、畏<おそ>れ慎<つつ>しむという謙虚<けんきょ>な気持がありました。ところが、だんだんと世が進み、物質面が開けていくにつれ、素直なもとの心は失<うしな>われ、ついに神は無用の長物<ちょうぶつ>となり、人智力のみを尊重<そんちょう>し、学問至上主義<しじょうしゅぎ>になってしまったのであります。
学問というものは、知識<ちしき>をうるためのもので、物質の世界を開くにはなくてほならぬものであります。したがって、学問尊重の時代ですが、よく考えますと、世の中は目に見える物質だけでできているのではありません。この世の中は霊と物質との二要素<ようそ>から成り立っているもので、霊を離<はな>れて体<たい>はなく、体を離れて霊もない、霊体一致の原則にたっているのであります。
そして、霊魂は神様から授けられ、肉体は父母からつくられて人間となり、地上において神様の御用を果たすのであります。ですから、神様と真釣り合ってはじめて完全な人生の意義<いぎ>、目的を達成<たっせい>できるようになっているのであります。