信仰は折りから始まって、最後は祈りにかえるわけで、祈りの一字につきると思います。どんなことでも方法とか手段<しゅだん>ではなく、根本は祈りでありまして、われらの救世の事業<じぎょう>は祈りなのであります。たとえば浄霊にしても、あれは技術的なものではなく、祈りが籠<こ>めてあるのです。ですから、浄霊を行なう人も同時に、祈りつつ浄霊をしていただきたいと思います。
どこまでも祈りが眼目<がんもく>であり、祈りに勝<まさ>るものはないのですから、「祈れよ祈れ」と言うよりほかにないのです。また、祈ってこそ力は出るもので、神様は祈られることを、非常にお喜びになるのです。神様は人間の親だから、祈らなくてもうまくやって下さるだろうと思うのは間違いです。祈れば祈るほど大きなお力を与えて下さるのです。
神様は無限<むげん>のものですが、人間の方でも大きくしていかなければならないのです。ですから、祈るほど結構なのです。正しい願いならば祈った方がいいわけです。そして、いままでに祈って正しいことが叶<かな>えられなかったことは、ひとつもないはずです。すぐとはいかなくても、それがほんとうの願いならば、必ずきかれるのです。祈りに祈って、早く自分を高めていただき、そうして、大きな仕事のできるようにしていただくということで、たとえ、自分的なものでもそれが善につながることならよろしいのです。
そして、人びとのお救いに出る前でも、あるいは、地方へ布教に行く場合でも、何をなすにも、まず祈りからというふうにしていきたいと思います。