浄霊活動は本教の眼目

 人類はいま、神様の心にかえるべき時、世の立つか立たぬかの境目<さかいめ>、善悪の曲<まが>り角<かど>に来てると申しても過言<かごん>ではありません。しかも、グズグズしていれば何が起こるかもしれぬので、人心のお浄めは、もっとも急を要するのであり、浄霊こそは本数の使命であり、眼目であります。

 私どもほこのお道につながらしていただいて、世間の人とは一歩も二歩も先に、神様のお仕組<しぐみ>と、神様の御心とをわからせていただきました。これはなんのためでしょう。ただ、ありがたいではすまされぬ、大きな使命のあることをさとらねば申しわけないのです。

 自分の幸福をありがたく思うにつけ、ひとりでも多くの同胞<どうほう>に、早くこのことをわからせるのが義務<ぎむ>であり、誠であると考えてくると、矢も楯<たて>もたまりません。他に比類<ひるい>のない浄霊のご神力が、本教信者に与えられているのは、それを私有<しゆう>せず、できるだけ多くの人びとに分<わ>かち与<あた>えるためなのです。神様と人とを結ぶ浄霊だということに、早く気づいてほしいと思います。

 天地をうしはぎたもう神様の御力は、人間の病<やまい>など治<なお>して下さるのはなんでもないのです。誠のものが誠をもって頼むなら、なんで聞かれぬことがありましょう。ただ、この浄霊は、どこまでも地上天国建設につながる浄霊だと思って、御用を忘れてはならないのであります。ただの病気治しで終るなら、この浄霊ほだんだんと力を失い、教会も衰<おとろ>えてゆくほかはありません。本教が実践宗教だ、行動宗教だと言われるゆえんもここにあるのですから、よくよく浄霊に対する考え方を正しく持ち、そのつもりで活用さしていただきたいのであります。