依存依頼の心を去って人事をつくす

 明主様は御教書<みおしえ>に、『算盤<そろばん>を無視<むし>するな』とか『算盤と能率<のうりつ>』という御教えを出されておられまして、信仰者がなおざりにしがちな点を、戒<いまし>められておられますが、この御教えは何も金銭的<きんせんてき>なことばかりを、教えられたものではなく、要するに、信仰者といえども実際的<じつさいてき>、合理的に動かなくてはいけないと戒めておられるのであります。実際信仰者のなかにはままあることで、はっきりした把<つか>み方をしないで、いい加減<かげん>な反省で終り、あとは神様がよろしくやってくださるだろうぐらいで、何か有耶無耶<うやむや>のうちに過ごしてしまいがちです。それが習性<しゆうせい>になってまいりますと、つい依存依頼<いぞんいらい>の心にも繋<つな>がっていくものではないかと思います。

 よく信仰者は惟神<かんながら>だとか、神様にお任せするという言葉を使って、人事をつくさないさきに、神様に押しつけようとする狡<ずる>い癖<くせ>がありますが、これでは神様は横を向いておられます。こういう人はちょっと行詰<いきづ>まっても、自分の努力の至らない点を顧<かえり>みないで、その責任を、信者の場合は支部長に押しつける、支部長はまた信者のせいにしたり、あるいは教会長に責任を押しつける、教会長は支部長に押しつけるというように、お互いに責任逃れをやるような羽目<はめ>に陥<おちい>り易いものです。明主様はこういう場合、『いやな役を買うものが勝ちだ』と言っておられます。それは負けて勝つという、つまり神様のソロバンに合ったことをするわけです。