人間は、できるだけ奉仕をいとわず、まめまめしく心身を働かせ、時により、物に応じてこれを生かし、あらゆる事物にぶつかり、苦楽辛酸<くらくしんさん>の経験をなめておけば、後日<ごじつ>かならずなにかの役に立つのであります。これがいわゆる“行”であって、人間はなんであれ“行”ということがしてありませんと、サァというとき間にあわぬのであります。神さまも行のしてない人間は、ご用に使いづらいと言われます。使命の重い人間には、ことさら行を命ぜられるのもそのためであります。ですから、人よりも仕事が多い、割<わり>が悪いなどとつぶやきますが、言ってみれば、それだけ他人より多く、神さまから期待されておるものと思ったら不足はいえません。よけい働くことは、よけいに陰徳<いんとく>を積ましていただくことになるのでありますから、割が悪いどころか、ほんとうは得<とく>なのであります。それは、多くの場合、なにか思召<おぼしめし>があって、神さまから、とくに身心の鍛練<たんれん>を命ぜられておるからであります。
「栄光 三九九号」