一家のうちで個人的に信仰をつづけている場合は、どうしてもある程度の制約<せいやく>を受けて、充分の働きができないと思います。もちろんうまくいっている場合は、さほどそれも苦になりませんが、いったん逆境にたたされたときには、じつに心細く感ずるものであります。いな、心細いどころか逆境をささえきれず、そこから自信を失って、信仰まで落してしまうことすらあります。一家がひとつの信仰というきずなにしっかり結ばれて、どんな逆境にたっても、たがいにはげましあい、助け合い、おまかせできる体制にまで導いてあれば、けっして信仰をおとすようなことはないと思います。ここまで導いてこそ、はじめてその家庭に、不退転<ふたいてん>の信仰をうえつけたといえるのであります。
「地上天国 一四五号」