人を侮らず謙虚に実行

 若い人は頭の回転<かいてん>が非常に速<はや>く、いい点をもっておりますが、反面ちょっと生意気<なまいき>なところがありまして、〃自分は非常に頭がいい、人が馬鹿に見えてしようがない〃という人もあるだろうと思います。しかし、それは危険<きけん>でありまして、自分はまだまだ青いのだ、人が偉<えら>く見えてしようがないという人の方が、かえって、後においてより進歩する可能性があると思うのです。

 私は明主様に伺ったことがあります。「明主様は何ごとによらず快刀乱麻<かいとうらんま>を断つようにやっておられますけれど、きっとお若いときから大きな自信をお持ちになっておられたのでしょうね」と申しましたら、『いやどうして、それどころか私は気が小さくて、人が偉く見えて、自分がなんという意気地<いくじ>なしだろうと、実に恥<はず>かしくてならなかった。とくに、女の子の前に出ると顔が熱して口もきけないほどで、こんな気の弱いことではしようがないと思って、実に情<なさ>けなかった』と伺いまして、そういうものだったかなあとびっくりいたしました。しかし、考えてみますとそういうときがおありだったからこそ、人並勝れた努力をなさって、あらゆるものを克服していかれた力が、そこから湧きあがってきたのではないかと思うのであります。

 ですから、いま変なことをしているからといって、その人を見極めてしまうことは間違いの因であります。人が立派になる道程においては、いろいろな形をとっているのですから、いま堕<お>ちている人、つまらない人を侮<あなど>ることはできないのであります。お互いがみなつまらないものと思って、謙虚になって、一生懸命に神様を祈り、お力をいただいて、まず、実行することであります。

 要するに、われわれはつねに内容を充実して、立派なものを作っていこうという、日々の努力を心がけたいものであります。そして、少しでも神様のお役に立つ人間にならせていただくよう、お互いに励まし合って、身魂磨きをさせていただきたいと思います。