“一人が一人を”お導きすることの尊さ

 浄霊を機縁<きえん>とし、御教えを機縁として、ひとりの人間が無信仰の境涯<きようがい>から、信仰の境涯に転向<てんこう>するということは、その一家にとっては、大変なできごとなのであります。なぜならば、それは、その人ひとりにとどまらず、それにつながる多くの祖先<そせん>、多くの子孫<しそん>の幸福を意味するからであります。ですから、私どもが、“一人が一人を”お導きするだけで、いかに大きな影響<えいきよう>をもたらすかは、測<はか>りしれないのであります。