信仰はやさしくて、しかも難かしい道で、一朝一夕<いっちょういっせき>では真の信仰はつかめません。やはり鍛錬と順序があり、だんだんと身についていくもので、人はなにごともない普段<ふだん>から、信仰を身につけておかねばならないのです。はじめはぼんやりと神さまのあることがわかるくらいでもけっこうです。そして神さまを朝夕拝み、お祝詞<のりと>をあげ、日常の仕事も神さまから授けられた仕事と思い、大切に魂を打込んで働いているうちに、ひとつひとつと神さまの不思議なお護<まも>りをいただいて、神さまとつながることが、より幸福に生きる道であることがわかってまいります。最後は神さまのご理想たる物心一如<ぶっしんいちにょ>の地上天国建設のご用のため、人間が生れてきていることをさとって、自分の生活の最大の目的をそこにおいて行動すれば、それがなによりであって、人目にたたぬ平凡なくらしの中にも、神さまは立派に宿っておられ、その一生はそれなりに尊いものといえるのであります。