原因をつきとめて進歩向上をはかる

 進歩発展<しんぽはつてん>のためには、自分の仕事のあとをふり返<かえ>ってみて、そこに自分として為<な>すべきことがしてなかったとか、打<う>つべき手を打ってなかったとか、あるいほお座<ざ>なりで過ごしはしなかったか、といったことをつねに反省<はんせい>することです。これがあってはじめて進歩発展向上があるのです。

 人がオギャアとこの世に生まれたからには、この天地を進歩向上させ、また、自分も進歩向上して、霊体ともに発育<はついく>を遂<と>げて、人格を形成<じんかくけいせい>させ、また霊の故郷<ふるさと>へ帰っていくという義務<ぎむ>をちゃんともたされているのです。 これにつきまして、御教書<みおしえ>『新人<しんじん>たれ』の一節<いつせつ>に、大自然の姿を例にとって、次のように御教えいただいております。『大自然においては一瞬の休みもなく、新しく新しくと不断<ふだん>の進歩向上を続けている。人間の数も年々殖<ふ>える。地球上の土地も年々開発<かいはつ>される。交通機関も、建造物も、機械も、ひとつとして退嬰するものはない。森羅万象悉く進歩向上しつつある実体をみて、人間といえどもそれに傚<なら>うべきである。この意味において、私といえども去年より今年、今月より来月というように、飽迄<あくまで>も進歩向上、心の弛<ゆる>まないように努めている』とあります。

 このよき例といたしまして、明主様はご在世中、毎夜のように教団<きようだん>のその日のできごとを、報告<ほうこく>させておられました。それをお聴<き>きとりになりまして、偶々<たまたま>先月より今月の方が数字的に減少<げんしよう>しているとか、足踏み状態であったりしますと、早速担当者<さつそくたんとうしや>をお呼び寄せになって、『そんなはずはない。これはどうもおかしい。どこかに何か理由があるのだろう』と言って、徹底的<てつていてき>にその原因を衝<つ>きとめられたのです。事実そうして衝きとめていきますと、減少したり、足踏み状態のあるところには、やはり原因があったのです。そして、『それでは、こうしたらいいだろう』というふうに、御教えいただいて改<あらた>めていくと、さらに、また発展していくということが、繰り返されていたと思います。それで、その原因を衝きとめるのには、自分の仕事のあとを、データーにとるということも、いい方法だと思います。