教祖は若いころから大変な映画好きであった。何しろ、明治三三年(一九〇〇年)、わが国に映画がはいったその直後から見始めているのであるから、もっとも古いファンの一人といってよかろう。そして以来五十余年間、一時期を除いて終生、熱心に内外の映画を見続けたのである。
たとえば、晩年の数年間は、毎月少なくとも一五、六本、したがって、年間二〇〇本に達する映画を見た計算になる。現代ではテレビを通しても映画を見ることができるが、まだテレビが一般に普及していなかった昭和二〇年代のことであるから、映画関係者でもなければ、これだけの映画を見た人はそう多くはいなかったであろう。
初期のころの思い出を、教祖はつぎのように記している。
「神田錦町に錦輝館といふのがあったが、ここは相当立派な家で、まず大名屋敷の広間の様な建物で、演説会場等に当てられてゐたので、畳敷で観客は座ってみたのは勿論である。そこで初めてみた写真はやはり仏画で 『浮かれ閻魔』という題で、子供向のものだがなかなか面白く大当りしたのである。その時の弁士は駒田好洋といって頗る非常と言ふのが味噌でそれで売出したものである。」
* フランス映画
当時は、声の出ない、画面だけの、いわゆる無声映画の時代であった。教祖はフランス、イタリア、ドイツなど、ヨーロッパ製作の作品をおもに見たようである。その後、アメリカ映画がはいってくると、その仕掛けの大きさや、画面の鮮明さ、俳優の演技の力強さに魅せられて、アメリカ映画のファンになった。そして数々の西部劇や、チャップリン、ロイド、キートンらの演ずる喜劇、さらには歴史的に名高いグリフィス監督の 「人類の歴史」というタイトルの大作などを数多く見たのである。
実業家時代の、教祖の映画への熱中ぶりは大変なもので、あちこちで映画の出しものが替わるたびに出かけたのである。午後の三時か四時ごろになると、そそくさと仕事に区切りをつけて、よ志に電話をかけて店に呼び、一緒に銀座や浅草などに出かけたのである。
大正未から昭和にかけて、教祖は神秘現象の探求に打ち込んだので、この間一〇年は映画を見ることもほとんどなかったが、その空白の期間が過ぎてから最初に見た映画は、衣笠貞之助監督の松竹映画「大阪夏の陣」である。長谷川一夫(当時は林長二郎)が坂崎出羽守の役を演じた。渋谷・松竹館でこれを見た教祖は、初めてトーキーの作品(音声の出る映画)を見たこともあって、非常に感銘を受けた。そして、
「じつにすばらしい出来栄えだ。日本映画の急速の進歩にはじつに驚いた。みんな行って見てきなさい。」
と言って側近で奉仕する人たちに小遣いを与えて見に行かせたのである。
これを契機に、教祖はいっペんに邦画(日本映画)ファンになり、昭和一二、三年(一九三七、八年)ごろには毎月三回あった休みの日には、必ずといってよいほど、よ志と連れ立って二館くらいの映画を見ることを習わしにしていた。それ以後見た映画のうち、アメリカ映画では「ハリケーン」、「シカゴ」、「大平原」など、邦画では「丹下左膳」、「大菩薩峠」、「戦国群盗伝」、「鶴八鶴次郎」、「松井須磨子」、「銀嶺の果て」などで、これらを後に〝印象に残っているもの〟としてあげている。教祖はとくに外連味(俗受けを狙った演出や演技)のないことと、大仕掛けなこと、すなわち、深みがあって、しかもスケールの大きい映画を好んだ。東宝映画の「銀嶺の果て」(監督・谷口千吉、主演・三船敏郎〉)などは、その点で、大いに感心したものの一つであった。
時代は下って昭和二四年(一九四九年)のことである。教祖は、映画監督の谷口千吉がたまたま熱海の旅館に泊まり込んでシナリオを書いているのを知って、使いの者をやり、手紙を取り次がせた。それは、
「私はあなたの監督された映画を見て、いつも感心している。ぜひお目にかかりたい……。」
という文面であった。それから何日かして、谷口は清水町仮本部に教祖をたずねた。
その時の教祖はまったくザックバランな態度なので、谷口は大変気持ちよく話ができたといい、教祖の映画の批評眼と人柄について、つぎのように述べている。
「一般の観客の見ないところを、ちゃんと見ていられる。すばらしいと思いました。しかも自然のままで、気取らず、げらげら笑って相手を喜ばせる。たいしたもんです。あとで撮影所の人が言いました。
『谷口先生は毒舌家(あけすけに皮肉をいう人間)で通っている。それが宗教家に会った。きっと喧嘩になったでしょう。』
って。ところが喧嘩どころか、こっちが恐縮し、感心して戻って来たというわけです。」
この日、谷口はいつものように旅館のドテラ姿で散歩に出たついでに仮本部を訪問したのであったが、教祖は丁重にもてなし、帰りぎわには金一封と菓子折りを贈った。そのうえ家族を応接間に呼び、一人一人を紹介したので、ドテラ姿の谷口はこれには大弱りで、冷汗を流すとともに教祖の折り目の正しさに感じ入ったという。