堂々と発言できる素地を作る

 宗教というものは、人心<じんしん>の改造<かいぞう>が何よりも根本でありまして、これは欠かしてはならないことですが、同時に世界の改造も大事なのであります。個人の救いだけに止<と>どまっているのでは、まだ完全な宗教の働きではないわけです。間違<まちが>ったことに対しては、間違いであるという世論<よろん>を起こして、どこまでもやめさせるように努力するのが誠<まこと>であります。そういう点でまだまだわれわれには未完成<みかんせい>なところがあります。やはり、現実の世界を救っていくことを疎<おろそ>かにしてはならないのです。霊体一致でありますから、人心の改造を霊とすれば、体的にも動いて、世界を浄<きよ>めていくことも必要なのです。ですから、これからの宗教はもう引込思案<ひっこみじあん>ではいけないと思います。

 それには、まずいろいろのことを学び、堂々と発言のできるような素地<そじ>を作っておかないといけないと思います。せっかくの高い教え、超越<ちょうえつ>した思想をもっていても、それをうまく発表できなくては損<そん>をするのです。それではつまりません。みなさまはいまみっちり勉強してほしいと思います。勉強はけっして神様に反対するものではないのであります。物質的な知識をうることも、それが神様を主にして使われるならば、宣伝効果<せんでんこうか>があがるのであります。また、既成的<きせいてき>な位や、社会的地位というような実質的な面も、神様のために使うならば、充分効果を発揮<はっき>します。むやみに卑<いや>しめてはいけないのです。あればあった方がいいのであります。ですから、勉強する機会<きかい>があったら、それを将来信仰のために使うという気持で、大いに勉強しておいていただきたいと思います。学問は至上のものだという気持で勉強するのと、神様のお役に立てようというのでは大変な違いだと思います。

 学問からうる知識のほかに、もうひとつ神様から授かる智慧証覚<ちえしょうかく>を使って仕事をすれば、どんなことでもできるはずです。若いときは勉強をなおざりにせず、学んだことをお道に役立てることを考え、勉強してほしいと思います。