信仰者は学校へいく、いかぬは別として、学ぶことが大切であります。識者<しきしや>の話を聞くとか、ラジオ、テレビ、新聞、雑誌<ざつし>、書物、映画、音楽など、いずれも勉強になります。明主様は、常にこれらによって新しい知識を得ておられましたから、家に籠<こ>もっておられましたけれど、少しも老い込まれなかったのであります。
われわれは専門家<せんもんか>ではありませんから、専門的な学問は必要ありませんが、広く所説<しよせつ>をきいて概念<がいねん>を得、その中から、智慧証覚に照らしてみて、正邪真偽<せいじやしんぎ>を弁別<べんべつ>して、およその批判力<ひはんりよく>を養っておけばよいので、なんでもかでも、鵜呑<うの>みにしてはいけないのであります。われわれは、天地惟神<てんちかんながら>の順序、法則についても、宇宙の創造についても、他にすぐれていると思う御教えをいただいているのでありますから、それに照らして考えていけば、ある程度、現代思想の欠陥<けつかん>も、ここにあるのだなどと、衝くことができると思います。
ところが、信仰からする智慧証覚をもっておらぬ人は、学んだものに囚<とら>われやすく、右へ傾<かたむ>いたり、左へ傾いたり、あるいは物を識<し>っていながら、自分のものがないという人もありますが、人間として自主独創<じしゆどくそう>を欠<か>くならば、まことにつまらない次第であります。人間の偉<えら>さは、その独創性にあるのですから、今後はみなさまも、できるだけ勉強をなさるとともに、自己創造をして、新しい信仰分野を、ひらいていただきたいものであります。