本教信者が顕わす奇蹟の素晴しい事は、今更言うまでもないが、左の御蔭話〔略〕は心臓が停止していたのを、十分間の浄霊で蘇生させたという奇蹟である。こんな素晴しい起死回生的事実は、未だかつて世界に例がないであろう。もしこれが医学上での成果とすれば、世界医学界の大問題となり、その報道を受けた日本の新聞などは、一号活字でデカデカに発表するであろうが、日本で日本人が行った事、特に宗教界から出たとなると、テンデ見向きもしないという不可解な事実である。そうしてこれ程の奇蹟は、キリストの奇蹟以上といっても、あえて誇張ではあるまい。とすればこれを公平に見て、一体何と評したらいいであろうか、恐らくこの事実を公平に見たら世界的大問題であるのは固より、全く神業というの外あるまい。
ところがこれ程の奇蹟を、たとえこの『栄光』紙上で見たとしても、大抵な偉い人は面喰<めんくら>って、只首を捻るばかりで結局分らず終い<しまい>で、見逃してしまうだろうが、この態度こそ我々にとっては、常に憤慨の的である。しかし近頃は慣れっこになってしまい、憤慨不感症になっているから左程でもないが、しかし言う事だけは云っておく方が、後々の為になると思うからかいたのである。その訳はいずれ時が来れば、今更のように本教の偉大性に目を覚まし、頭を下げて来るのは分りきっているからである。但し賢明な人も中にはあるであろうから、そういう人は機会を見て、本教に入信するのはもちろんである。
「栄光171号」 昭和27年08月27日