『地上天国』二十四号-巻頭言

 この欄は、いつも時局の事ばかりかいているから、本号は別の事をかいてみよう。昨年アノ事件後、私は散花結実であるといったが、その後月日が経つにつれて、その形が如実に顕われて来た。すなわち近頃本教を理解する人々が増えると共に、新しい信者も月々に殖えるようになって来た。特に智識階級方面の人が大分従来の誤った識を、改めて来たように見えるのは最近の『週刊朝日』から頼まれた、私と夢声氏との対談を載せた事によってみても判るが、その他の言論機関にも、ボツボツ見かけるこの頃である。

 しかし、右は別に取立てていう程の事もないが、本当から言えば、本教程画期的偉大な宗教は、未だかつてないのだから、内容が少しでも分るにつれて発展するのは当然である。こういう事を第三者からみると、恐ろしく自うぬぼれているように思うであろうが、私としてはありのまま正直にかいたまでである。これにつけても考える事は、本教に実地に触れないで、只世間の噂話や新聞雑誌のデマなどを信じて、何だメシヤ教の奴、大きな事をぬかすが、ヤッパリ当世流行のアプレゲール的、〇〇〇や〇〇信仰と同列なものであろうと、決めてしまうその諦めのいい事である。こういう人達を解らせるには、随分骨が折れると思うかも知れないが、そう思うのは実は神様抜きに判断するからである。

 世界人類を救い、病貧争絶無の地上天国を御造りになると宣言なさる、ドエライ神様の事だから、その通り実現するのは絶対間違いないのである。しかし物には順序がある。順序は神也であるから、例えば果物が生っても、急には大きくならない、月日を経、雨風に当って、段々大きく美味いものになる。又寒さに慄え(ふるえ)、雪霜を凌いでこそ、春が来れば四方に匂う梅花が開くのである。これが天地自然の理法であるとしたら、いくら立派な本教でも、時を待たなければ、花は咲かないのである。

 その代り、時来れば、全人類ことごとくが歓喜の声を放って、地上天国建設に協力するであろう事も、一点の疑ないところである。従ってこの夢を楽しみつつ、今は黙々として、救いの業に精進していればいいのである。           
(自観)

「地上天国24号」 昭和26年05月25日

S26地上天国