景仰

自信と素直さを

 昭和二十九年の春ごろだったと思います。碧雲荘から電話がありまして、『あす、なるべく早く来るように』とのことでした。 翌朝早く伺いますと、明主様は、いつもと違って、かたちを改められて、こうおっしゃいます。  『これは全部 …

思い切りのよさ

 明主様がまだ商売をやっておられ、商品を三越に納入しておられた当時、三越に「三正会」という会がありました。それは三越に商品を納める商人の集まりでしたが、この会員は厳選主義で、同じ商品を納める商人が十人いても、この会員にな …

ビジョンをつくる才能

 私は岡田さんには、昭和二十六年と二十八年に、二度お会いしています。どちらも岡田さんからのお招きで伺ったので、最初の時は箱根、二度目の時は熱海でした。  岡田さんが買われたもの、あるいはこれから買われようとされる美術品に …

折り目の正しさ

 私が初めて教祖にお会いしたのは、昭和二十四年の秋か冬でした。  そのころ、私が映画監督として働いていた東宝はストライキでごたごたしていました。私自身もする仕事がなくなって、大映の仕事を手伝うことになったのです。  それ …

簡にして要を得たお話ぶり

 岡田さんは、当時、大本明光社の文芸関係の会合にはすべて出ておられました。出られないでもいいような時でも、ポッと出て来られますので面食らうことがありました。  そういう会合でお見受けする岡田さんは、まことに謙虚な方でして …

まれにみる精力家

 私が初めて明主様に対面したのは、昭和二十六年三月下旬でした。それは春のお祭の時で、私は奉納演芸として、“宮本武蔵”を一席弁じました。  舞台の前に特別の席があって、そこに頭の白い人が、奥さまとおぼしき方とふたりで坐して …

別荘へは必ずご一緒

 私は“金沢八景”で知られている横浜市金沢区寺前町で楽隠居の月日を送っていますが、大正三年ごろ、岡田さんがこの近くに別荘をお建てになって、毎年避暑においでになりました。おいでになる時は決しておひとりでなく、必ず奥さんとご …

超人的な仕事ぶり

 私が岡田商店へはいった時、先生(明主様)が考案された「旭ダイヤ」という人造ダイヤを専門につくる工場が浅草の三筋町にありまして、二、三十人の女子工員が働いていました。  この旭ダイヤが非常に流行して、工場から出来てくるの …

理解力の深さと広さ

 教祖様は浮世絵を盛んにお蒐めになっておられ、ある時、藤懸先生が私に、「あした、お光さんがうちに来られるから、あなたも来なさい」と言われて伺い、そこで教祖様にお目にかかりました。  この時初めて言葉を交わしたわけですが、 …

意志の力で克服

 新宗連が出来て、その常任委員会が熱海の咲見町本部であった時、教祖が出て来られて、私は初めてお目にかかりました。これが後にも先にもたった一度の思い出です。  その時の印象といっても、ちょっとお話しただけですから、深くまと …