景仰

至高の精神形成

 教祖様から強羅の本部にご招待を受けたのは、昭和二十六年で、いまからもう十三年も前のことです。同行したのは、ふたりの新聞記者でした。  そのご風貌はいつもあざやかに瞼のうらに焼きついています。あれからもう十三年の歳月がた …

序文を書いたのがご縁

 昭和五年ごろのことですが、私は東京市の教育局の学校衛生技師をしていました。また一方、その東京に治療師会(指圧療法は当時まだなかったが、按摩を除く種々の治療師の団体)というのがあって、私はその顧問をしていました。  そう …

一発必中

 教祖様は時々三越本店の特選売場へお見えになりました。二代様とご一緒の時もあり、そうでない時もありました。  前ぶれなしにおいでになるのですが、その呉服の選定が実に早くて、極端に申せば、一目見て『これがいい』『これにする …

誠のお人

 ただいま美術館の最重要品のひとつになっております国宝、光琳の紅梅白梅二枚折り一双をお買入れになるときのことを思い出しましたので、それを書いてみます。  あの当時――それは昭和二十九年ですが、その当時の相場としては非常に …

立像の目の奇蹟

 昭和十八年の五月か六月でした。中島一斎先生につれられて、玉川上野毛の宝山荘をお訪ねしました。  そのとき、一尺ぐらいの黄金の立像が置いてありました。明主様は、その横にすわっておられました。この立像を所有している人は不幸 …

高い見識と深い観察

 教祖という方は、ことにその人柄が立派で、私に話される時も非常に丁重で、『これはこう、あれはああ、自分はこう考えている』といったように穏やかな話し方をなさいました。  また、教祖は人間が大きくて、よいことがあるから大喜び …

すべてを計画的に

 私が教祖にお会いしたのは、〝お光さん〟として世間が騒ぎ始めたころでした。昭和二十三年で、場所は熱海の清水町です。  その時、私は教祖に、「新聞を出されてはどうですか」という話をしました。若い時から新開発行ということに、 …

売り甲斐のあるお客さま

 明主様は、三越本店の美術部にも、ときどきお立ち寄り下さいました。  洋画はあまりお好きでありませんが、日本画の鑑定は玄人はだしと申したいところで、その点で〝こわいお客さま〟でした。なんでも深く知っていらして、いいかげん …

素直で暗さのない歌

 岡田茂吉さんの歌について、あれこれ思い出すことをお話しましょう。  私が大本に関係した昭和八年から十年のころは、岡田さんはもう信仰的には独自のものをもっていて、あまり本部へも来られなかったのではないかと思います。  従 …

情の深い信仰者

 私は大本の先輩として、岡田さんが信仰生活にはいった、つまり大本入信の最初からいろいろお世話申し上げた関係上、親しくしていただきました。  そして岡田さんの信仰は、家業の関係もあり、最初のあいだはいろいろ曲折もあったよう …