『私の用に変わりはない』
玉川時代、当局の治療禁止が解かれて、明主様がふたたび治療をお始めになる時のことです。私どもおそばに奉仕していた者も、長い隠忍の夜が明けたように、希望に燃えていました。そして私は今度こそ、かねての念願である治療の助手とし …
御神業に卑下は禁物
よくお叱りをいただきました時、ほんとうにこの自分はつまらない者と思い、「私のこの愚かさは一生治らないのでございましょうか」と明主様に申し上げますと、『そんなことはないよ。一生治らない者を、神様はお手数をかけてお使いにな …
謙虚であっても卑下はするな
ある時、明主様に、「私のような者でもお使い下さって、ほんとうに光栄です」と申し上げたら、『私のような者という言葉、今後絶対使ってはいけない。それは、私のような者と言えば、使っているのはわたしだ。わたしが使うのに“私のよ …
御用にも時所位がある
私が、明主様のお側においていただくようになってから、まもなくのことです。 もちろん、明主様のご傘下に参じた以上、人類救済の大業のため、どんなことでもさせていただこうと、大いに喜び勇んで、何かと御用をさせていただいては …
自分の仕事に誇りと誠を
明主様が玉川にお住まいのころ、私は、主にお勝手の御用をさせていただいておりました。料理は全くの素人でしたが、明主様はこちらが真心をこめて作ったものは、いつも『おいしい、おいしい』とおっしゃって、なんでも召上がって下さい …
いただいた命は神の御用に
昭和二十五年九月、私は富山へ布教に行っていて、脳溢血で倒れ、明主様に御守護の電報をうたせていただいたことがあります。 さて、全快してから、御守護のお礼言上のため、熱海で明主様にお目通り願ったのですが、そのとき明主様は …
一業に専念すれば神様も喜ぶ
昭和十九年、入信とほとんど同時に、応召の赤紙が来ましたが、どういうものか、即日帰郷を命ぜられ、ホッといたしました。 そのお礼を申し上げるため、教会長さんに連れられて明主様の所へ伺いました。私は以前から教会長さんから専 …
時所位ということが肝心
教会長先生が、私に布教師になりなさいと勧めて下さったことがあります。そのことを、明主様にお話しましたところ、『時所位ということが肝心だよ。あんたは絵かきだから、いい絵をかきなさい』と言われ、画家として進むことに決心しま …
自分が一番好きなことをせよ
明主様は、仕事を選ぶ場合、『自分が一番好きだと思うことをやりなさい。好きなことでなければ成功しない。なぜなら、好きだということは、すでにその人がその仕事に向いているということであるし、成功するまでいろいろ苦しいこともあ …
恩は着せるべきものでない
私は昭和十六年四月一日、当時の資格を拝受して、いよいよ布教に専業することになりました。その時、「どのような心構えでやらせていただいたら、よろしいのでございましょうか」とお伺い申し上げました。 明主様は『寝食を忘れて人 …