『爺臭いのはいや』
昭和二十五年ごろです。明主様のワイシャツを縫わせていただいたことがあります。観山亭のルームでお仕事をしておられるところへ、メージャーを持ってうかがいましたが、寸法をおとりしたあと、カラーのスタイルをうかがいますと、『爺 …
『喧嘩でもして来たのか』
箱根、熱海時代、人の出入りの多くなったころは、服装についてよくご注意下さいました。夏など胸をハダケ、乱れた服装のままお側へおうかがいする時など『喧嘩でもして来たのか』と、おからかいになるというふうなご注意の仕方でした。 …
自分のためだけではない
ある日明主様は、『人間はしゃれっ気がなかったらおしまいだ。みな大いにしゃれるべし……私は、おしゃれだよ』とおっしゃられて、ふだん鏡をごらんになられることはありませんのに、鏡の前で、いつまでもネクタイをお直しになっておら …
若い車夫に学資を送る
明主様が装身具の卸問屋をしていらしたころのことですが、ある日、明主様は人力車で浅草へ映画を観に行かれたのです。 ところが、その車夫は若いにも似合わず、ヨロヨロしながら車をひいているので、『まだ新前だね』と尋ねられると …
『私が行ってすむことなら』
明主様のご慈悲の深かったことは、いまさら申し上げるまでもありませんが、昭和二十五年脱税問題の時でした。朝六時ごろ、突然十数名の警官が家宅捜索に来たことがありました。 早速、明主様に申し上げますと、いつもとお変わりない …
『私の苦労はなんでもないが……』
昭和二十五年のご法難で、明主様は大変にご苦労され、ご自由の身になられて箱根でご休養のころ、たまたま碧雲荘へ帰っていらっしゃいましたが、大変におやつれになっておられました。 そのおやつれになった明主様が、私どもに言われ …
刑事も感心した房内生活
二十五年の事件の時のことでした。私が拘留中、明主様が留置所におはいりになったのを知って、極度に喪心し、せめてご安否だけでも知りたく思って、K刑事にたずねてみました。するとかれは、「何しろたいしたお元気で、おはいりになる …
未信者にも同じ思いやり
清水町の仮本部は二十三年にお求めになったものですが、以前は小倉石油の社長さんの別荘でした。その小倉別荘の留守番に小林さんという老夫婦がおりましたが、身寄りのない気の毒な境遇の方でした。そして教団で屋敷を買ってしまいまし …
陰でのやさしい心づかい
昭和十八年だと覚えていますが、私のお道の恩師が、医師法違反ということで、留置場に入れられたことがあります。 その時、明主様は、私をお呼びになって、『早く留置場から出られるように手を尽くしてやりなさい』とおっしゃいまし …
彼女が助からなかったわけ
明主様に特別お世話をかけた信徒のうち、私の印象に深く残っている者にT兄妹があります。兄の方は杉並区馬橋で経師屋を営んでおり、数人の子女を抱えて、始終貧苦に喘いでいました。妹のK子(二十七、八才)は、兄が入信してまもなく …