毒素を満載していた私
昭和十五年、初めて明主様にご浄霊をお願いに行った時のことです。 明主様は、私のからだをひと通りごらんになって、『あんたは、よほど丈夫とみえる。こんなに毒素を満載していても生きているんだからな。まあ健康なんだから、浄霊 …
御神業初期の浄霊
明主様が御神業をお始めになった初期のころは、現在の浄霊のように、直接手をかざすのではなくて、信者に扇子を与えて治療を許されました。 この扇には“万病を治すこの扇”とか“一切の病を治すこの扇”“伊都能売の神力”など、い …
『よかったね』のひとこと
昭和二十年の九月二十八日のことでした。ちょうど、私どもの教会の会食会(当時は各教会で会食会を開き、明主様をご招待していた)の日で、私は平塚まで材料の買い出し出掛け、鶏二羽をやっと見つけ、それを持って箱根のお屋敷へうかが …
手紙とおかげ話
ある晩、口述筆記の御用に先立って、宮崎県の結核療養所に入院していた一婦人から、明主様あてに来た手紙を、お読みしたことがあります。 文面は、明主様と徳川夢声氏との対談記を週刊誌で読み、本教を知り、お救いいただきたいとの …
大神様もきかずにはいられぬ
昭和二十三年か四年のころでした。 妻が子癇の浄化で、あすをも知れない容態となりました。私は電報で、明主様に御守護をお願いいたしました。 その結果、たちまち妻の調子がよくなりましたので、お礼の電報を 出させていただき …
御守護の電報について
お側に奉仕しておりますと、よく信者さんから電報や電話で御守護お願いがまいりましたが、そのような場合、取次いだ人はすぐ明主様に、その人の年令、性別、住所、症状などを口頭で申し上げることになっておりました。すると明主様はそ …
ニコルスを感心させる
昭和二十四年二月、マッカーサー司令部のニコルス夫妻が、清水町仮本部へ来ました時、明主様は本数について、いろいろご説明されましたが、ニコルス氏は手のひらから目に見えない霊気が出ることに、どうしても納得がいきませんでした。 …
独創的な造営
私は造営の方の御用(主として植木)をさせていただいておりましたので、明主様から直接ご指示をいただくことがありました。 明主様は、『他人のまねはするな、造営する時は、何か新しい考えのものを造れ』といつもおっしゃいました …
『神様がついている』
昭和二十三、四年ごろ、救世会館の敷地工事に着手してまもない時で、まだ現在の梅園が買収されていない当時、大石垣を造るための砂利、砂、セメントは、すべて美術館敷地附近から、奉仕隊が肩に背負って担ぎ上げていた時代がありました …
まわりまわってご計画どおり
瑞雲郷の道路造営については、明主様はよく、『ここは世界中からいろいろの人が集まって来るところだから、思い切って広い道をつくれ』とおっしゃっていました。 現在立派に出来ている、石雲台(美術館の予定敷地)の横からツツジ山 …