無私の精神、身をもって示した御用
「笊で水を汲んでみよ」 禅問答のような明主様のこのお言葉は、このご面会の数日前に教団最高幹部が集まった席で発せられた。居合わせた幹部たちはいかに明主様のお言葉とはいえ、とうてい無理な話で、いずれ何らかの説明があるもの …
美術品購入の御用
明主様は美術品購入にはとても熱心であった。資金不足で思うようにいかずお困りの時もあったようであるが、どうしても入手したい名品を美術商が持参すると結局購入することを決意された。名品、逸品の海外流失を防ぎ、美術愛好家だけで …
献金
昭和二十四年までのことである。この頃、宝山荘では、地方からの献金を計算するのは、たいへんな手間のかかる御用の一つであった。 「五六七会」の幹部が毎月末日に宝山荘に集まって、それぞれ地方開拓をしてきた結果を總斎に報告し …
教団施設の整備
總斎は明主様がご希望される土地の購入はすべてしている。昭和二十三年、明主様が碧雲荘を入手された時の費用も總斎が都合した。久彌宮の別邸であったが、当時、購入代金は七百万円であった。この時は、契約時から一週間以内に現金で購 …
小さな御用
ところで明主様への御用の数々は今触れた聖地、美術品、またその他の不動産施設の購入という、目に見える大きなものだけにとどまらない。 例えば戦時中から終戦後にかけて明主様の洋服やワイシャツ等は、すべて總斎がご用立てしてい …
“すべて”を捧げるということ
總斎が明主様に対してすべてを捧げようと決意していたことは、実際に明主様に対して行なったご奉仕をみれば明らかである。總斎は普段から明主様のお言葉は神様の声であり、いついかなる場合であってもお言葉に従うのだと言い、また実践 …
焦らず、怒らず、怠らず
總斎が活躍していた当時、専従者になるということは、教団に就職することではなく、神の使命によって御用を“させていただく”ということを意味していた。このことを絶えず總斎は周囲の者に教えていた。 次のいくつかの話はこの間の …