玉川のころ、ある日、川べりを明主様のお伴をして散歩しておりますと、例によって明主様は道々必ず将来の抱負やら、ご計画について、さも楽しそうに語られるのでした。
その日、特に私の耳に残っておりますことは、『いまに美術館を造るから見ていなさい』と言われたことでした。
仮にも美術館といえば、個人の蒐集ぐらいでは、とうていまに合わないくらいのことは私にも分かっておりましたので、「それはいいですねえ」と口では賛成いたしましたものの、内心ではまさかと思っておりました。ほんとうのことを申しますと、むしろ雲をつかむようなこの話は、少しバカバカしくさえ思われたほどでした。
ところがどうでしょう。それから十年経つか経たぬうちに、夢はまさに現実となってあらわれる天の時が到来したのです。
第二次大戦への突入、さらに終戦へと事態は急転直下して、日本はマッカーサーの手で否応なしの改造が行なわれたのです。財産税、新円の切替えと、それは目まぐるしい変転でした。それまで名家や富豪の倉に秘蔵されていた名宝が、国内はおろか外国にまで財産税捻出のため、あるいは企業資本獲得のため、涙をのんでドッと流れ出たのもこの時でした。これはまさに明主様の悲願達成の絶好のチャンスでもありました。
それから美術品蒐集が始まり、神苑内には美術館の建設が進められ、僅々一年七カ月の短時日をもって、開館の運びに漕ぎつけたのでありました。
そのスピードにおいて、まさに超人的だとの讃辞をうけて、だれよりも一番に喜ばれたのは、ほかならぬ明主様だったと思います。それはあの開館の日の明主様の無邪気な、そしてなんとも形容しがたい嬉しそうなお顔が、何よりもそれを語っておられます。