美による伝導もひとつの方法

 ある教団の最高幹部<さいこうかんぶ>が、こんなことを言っていたのを、読んだことがありました。自分は東京に出る機会<きかい>が非常に多く、たびたび出てくるけれど、その距離<きより>が非常に長いので、旅をするときは車中で新しい話相手をみつける。そして、その人に宗教談から、また、自分の信仰の話などをする。そして降<お>りるときには、“実は私ほこういう者ですが、また、どうか尋ねてきてください”と言って、名刺<めいし>を渡すそうです。そのなかの何割かが、暇<ひま>があったときについでにたち寄ってくれるとのことですが、これを読んで最高幹部でありながら、こんなにまで車中の時間を宣伝<せんでん>に利用しているその心がけに、私はひどく感心したのであります。

 むろん、みなさまもそういうことをやっておられるのでありますが、しかし、まだまだ考えてみると、そういう機会を無駄<むだ>にしていると思えないこともないのであります。本教は、ことに美術館<びじゆつかん>というすばらしいものがあるのですから、教えでなければというより、事実の話をしてもいいのです。“こういうすばらしい美術館があるのです。ぜひきてください”というふうに名刺を渡しておいて、本部の方へ連絡<れんらく>をとってくだされば、神苑内<しんえんない>をお見せしたりできますし、心をタイアップしてやれば、必ず多くの人がくると思うのです。そして、このご神苑でも見せてあげれば、そこに明主様という方の偉大<いだい>さに、どうしても触<ふ>れずにはいられないと思います。そういうことからまた話が出れば、非常にこの美の面も有効<ゆうこう>でありますし、さらに、教えとか浄霊とかいうことに、今度はつながってくると思うのです。

 ですから、もうわれわれは、いままでの定石<じょうせき>どおりをやっていないで、あの手この手と頭を使いまして、神様のお側<そば>へひとりでも引き寄せる、そして、どうしても信仰に結びついてもらうということに、大努力をさせていただきたいと思うのです。