右の井上氏の記事〔略〕を見て、私はハッキリ判った事だが、何しろ随分時が経った事とて只桜木氏の女児について、何か神秘のあった事だけは漠然と記憶に残っていたのであったが、今度井上氏の文によって当時の記憶を呼び醒まし、私は喜びに堪えないのである。それで判っただけの、大体の意味を左にかいてみよう。
右は、ある朝電話で、急に娘が悪いから来てくれというので、早速出向いたところ、頻繁な下痢で仕方がないから、オシメを沢山巻き、股をひろげっ放しで仰臥しているので、妙な格好だと思った。ちょうどお産をするような形である。最初病室へ通るや、座敷の隅にあった箪笥の上に、小さな台に乗られた一寸八分位の観音様の像が安置してあった。よく見ると六金か九金位のもので、これは戦国時代武士が、御守仏として戦場に赴く際、腕へ巻きつけたもので、よくあるのである。
そこで数回浄霊をしてやると、数時間後大体治ったが、翌朝電話が掛かったので、訊いてみると、お蔭でほとんど全快したというので私も安心した。そうしてその七歳になる弥生女が、最初から時々陣痛のような間隔をおいた痛みで、ちょうどお産と同じようであったという事を、その日の午後来た時桜木氏から聞いたのである。尚彼は右はいかなる理由であるかを訊ねたので、私はこう答えた。「弥生ちゃんはお釈迦様になって、観音様を生んだのですよ」と言って、尚私は思った。その子供の名が悪かったので、数ケ月前弥生という名に変えてやったが、それは今度の事の為神様が名を付けられたのである。全く井上氏のいうごとく、弥勒を生むという意味である。又小さい観音様があったのは、観音御生誕の型を神様は知らせる為であった。そもそも昔インドにおいて観音様を生んだお方は、御釈迦様であったからである。又仏法は桜の花になるので、桜木の姓は木はキであり、キは国の霊返しであるから仏法の国という事になる。ところで面白いのは、右の電話が掛かるや間もなく、私は牛乳がしきりに呑みたくなった。ハハアー観音様が生れたばかりなので、その型であると思い、早速一杯の牛乳を呑んだのである。又昨年の事件の時、留置所内で、高貴の神様が天降られ、私の腹へ宿られたその翌朝も、食欲皆無となり、只牛乳だけが欲しくなって、呑んだという事をかいたが、それと同じ意味で、これは仏教にある胎蔵弥勒の事である。以上思い出したのをここに補遺としてかいたのである。