私は、人を憎むなということをかいたことがあるが、それとともに憎まれることもいけないのである。というのは、憎まれると、どうしても相手の怨み、嫉妬、報復などの悪念が霊線を通じてくる。それが邪魔をして常に不快感がまつわり、はればれとしないから、仕事もうまくゆかないようになり、幸運をさまたげられるというわけだから、大いに注意すべきである。
この理によって、年中気持よく、仕事は順調にゆき、災いも軽くすむようにするには、右と反対に人をよろこばせ、人を幸福にすることで、この実行者こそ、賢明な人というべきである。そうして、この理を知らせることが宗教の根本である。
人は人を咎むるなかれ。時々、人を咎めることの可否についてきかれる。実をいえば、人を咎める権能は神のみが有せられるものであって、人が人を咎めるということは、実は人が神の地位を犯すことになるのである。また別の面からみるも、人を咎めた結果は、よいことはまずない。たいていは逆効果となるのである。どうしても当人自身が非をさとって、心から悔い改めるのでなくては本物ではないのである。
人を裁くなかれ。よくあの人は善いとか悪いとかの批判をするが、これこそたいへんな間違いである。なんとなれば、人間が人間に対して、善悪正邪などわかるものではない。というのは、これこそ神様の領分だからである。だからそういう人は、人間の分際で、神様の地位をおかしているようなものだから、飛んでもない脱線である。
したがって「人を裁くなかれ」という格言をよく守るとともに、むしろたえず自分自身を裁いていればいいので、そういう人こそほんとうに神様がわかっている人である。
私は以前、某所で、山岡鉄舟先生筆の額をみて感心したことがある。それは最初に、「程」という字が大きくかいてあり、そのつぎに小さく、「人間万事この一字にあり」と書いてあった。これは今もって忘れられないほど、私の心にしみついている。というのは、私は今日まで何十年の間、なにかにつけて、この額の字を思い出し、非常に役にたっているからである。
昔から格言もずいぶんあるが、これほど感銘に値する文字はないようだ。たつた一字の意味であるが、なんと素晴らしい力ではないかと思う。