第四章 罪を浄むる神事のこと

 此<か>く出<い>でば天<*1あま>つ宮事以<みやごとも>ちて天<*2あま>つ金木<かなぎ>を本打<もとう>ち切<き>り未打<すえう>ち断<た>ちて千座<ちくら>の置座<おきくら>に置<お>き足<た>らはして天<*3あま>つ菅麻<すがそ>を本刈<もとか>り断<た>ち未刈<すえか>り切<き>りて八針<やはり>に取<と>り辟<さ>きて天<*4あま>つ祝詞<のりと>の太祝詞事<ふとのりとごと>を宣<の>れ
 

大意

 このように多くの罪が発生したならば、高天原で行なわれているような、罪を祓う神事に倣って、小さい木の枝の元を切り、末を断って適当の長さに揃え、たくさんの台座(案)の上に、いっぱいに置き重ね、また菅<すげ>や麻の根本の方と先端の方を刈り捨て、それを針で細く切り裂いて、それらによって祓の行法を行ない、さらに祝詞を奏上しなさい。

*1天つ宮事以ちて
 
天つ宮事とは、神々の世界において、行なわれていた祓の神事霊法である。皇孫が地上降臨のさい伝えたものであろうが、時代の経過とともにすべて失われてしまった。だから、その祭式用具や、またそれをどういうふうに使用するかということも、現在では不明のようである。ただそうした方法は失せても、その精神や、言霊によって浄めるという意義は失われず、それが、この祝詞が現在でも重視されるゆえんであろうと考えられる。
         
*2天つ金木
 
天津金木については、前述のごとく、永い年月を経て、それがいかなるものであり、それをどういうふうに用いて神事を行なったかは、不明のようである。また、それを文献によって尋ねるとしても、諸説紛々として帰するところがない。

 明主様の御教えによれば、
 『これも半分きり説明できない。神武天皇以前、その時の天皇が正月にこれを拝むと、その年の吉凶がわかる。一種の占いです… …』『これには非常な神秘があるんです。これは、ごく古い時代から神武天皇以前までなんです。さらに、ずっと古い時代には+の板の上に天皇が立ってお祈りすると、ご神示があったというものなんです。これを象ったものなんです……』『これは三尺(約一メートル)ぐらいの長さの檜の棒で、こういう(煙草でΗのかたちを作られる)形に作ったものです……』『天津金木は地上天国の予言になっている。いずれ話そう……』とあって、時期尚早のためか、じゆうぶんのご説明はいただけなかったままになっている。

 そして、神言の言葉から考えると、天津金木を切り揃えて、たくさんの案(机)の上に積み上げるということであるから、この祝詞のできたころになると、もはやたんなる祓串か、算木のようなものになっていたかもしれない。ある説では、伊勢神宮の芯のお柱を二千五百分した檜の小片四分(約一・二センチメートル)角、長さ二寸(約六センチメートル)であるとも言う し、また、金木に★という字を当て、天然に生えた常磐木の枝ともいわれている。

*3天<あま>つ菅麻<すがそ>を……八針に取り辟きて

 これについても、諸説があって定まるところがないようである 。「スガソ」は菅<すが>緒<そ>で、菅笠<すげがさ>などを作った植物を細く裂いたもので、祓の行事に使用した筮竹<ぜいちく>のようなものであったかもしれないのである。また、「スガソ」は清麻<すがそ>で、古来から現代まで、麻が祭服その他 神事用具として使用されているから、麻であるかもしれない。ともかく、針でその植物繊維を細く裂き、天つ金木とともに、ある種の祓の行事を行なったものであろう。しかもそれだけでなく、さらに、天つ祝詞の太祝詞を奏上す ることによって、全き浄めを計<はか>ったものと考えることができる。

*4天つ祝詞の太祝詞<ふとのりと>
 「天つ」とか「太」は意味のない美称であるとしても、どういう祝詞を奏上したものであろうかということになると、これまた諸説があって定まるところがない。しかも、現実には秘め言となったか、あるいは忘れ去られたかして奏上していないのであるから、われわれとしては詳しく詮索する必要もないと思う。だいたい古神道においては、一般人には公開しない秘事があるので、  これもその類ではないだろうか。

 ただ、現実に考えられることは、明主様のお言葉にもあったとおり、この「神言」は、たくさんの罪穢が、言霊の光によって浄まってゆくためのものであるから、そのことを知って、私たちは、誠をこめて、声高らかに、どんなに大勢の者が奏上しても、ただひとりが奏上しているかのように、人びとが心を揃えて奏上すべきである、ということを知れば足りるであろう。