第三章 宮殿御造営と罪の発生のこと

 此<か>く依<よ>さし奉<まつ>りし 四方<よも>の国中<くになか>と 大倭日高見国<*1おおやまとひだかみのくに>を安国<やすくに>と定<さだ>め奉<まつ>りて 下<*2した>つ磐根<いわね>に宮柱太敷<みやばしらふとし>き立<た>て 高天原<*3たかあまはら>に千木高知<ちぎたかし>りて 皇御孫命<すめみまのみこと>の瑞<*4みず>の御殿仕<みあらかつか>へ奉<まつ>りて 天<あめ>の御蔭日<かげひ>の御蔭<みかげ>と隠<かく>り坐<ま>して 安国<やすくに>と平<たいら>けく知<し>ろし食<め>さむ 国中<くぬち>に成<な>り出<い>でむ天<あめ>の益人<ますひと>等<ら>が 過<あやま>ち犯<おか>しけむ種種<くさぐさ>の罪事<つみごと>は 天<*5あま>つ罪国<つみくに>つ罪許許太久<つみここだく>の罪出<つみい>でむ

   大意

 このように、平らけく安らけく治めよとご委任を受けられた地上の四方の国々の中でも、とくにその中心である大きい山々に囲まれた、もっとも太陽の光を豊かに高く仰ぐことのできる、日の本の国を、平和な地上天国建設の地と定めて、ここに宮殿をつくるべく、大地に深く太い柱を打ち立て、天空高く千木を聳<そぴ>えさせた、立派な麗しい宮殿をご造営になられたのである。

 その天を覆い、強い太陽光線をさえぎるような広大な宮殿の奥にあられて、祖神の守護を受け、平和な楽しい国となすべく統治されたのである。

 その国の中に、生まれ増え、生々発展を約束されている人びとが、時が経過するにつれて、悲しくもいろいろの罪を犯すようになった。その多くの罪は信仰的に言えば、神に対する罪、人に対する罪であるが、人びとは神から自由を与えられているがゆえに、ついそれを悪用して、こうしたたくさんの罪を犯すようになるのである。

*1大倭日高見国<おおやまとひだかみのくに>
 「大倭」を「大日本<おおやまと>」と書く注解書もあるから、日本国を表わすものと解することができる。

「日高見国」とは太陽が空に高く輝くのを見ることができる国ということで、別に「ひだかみ」を「最上<ひたかみ>」と解することもできるから、山に囲まれた、すぐれたすばらしい日本の土地という義をとった。これを、奈良県(大和国)あるいは奈良県磯上郡と狭義に解する説もあることはもちろんである。

*2下つ磐根に宮柱太敷<ふやばしらふとし>き立て  日本神道における建築の際の慣用語となっている 。地中にある岩戸の層まで掘った堅固な基礎の上に、太い柱をしっかりと建てるという意である。

*3高天原<たかあまはら>に千木高知<ちぎたかし>りて

 これも慣用語である。空にもとどけとばかり屋根を高くして、その上に千木を置くこと。千木とは神社建築で棟の左右の端に長い木を棟で交叉させて、その先きを長く空中に突き出させたものである。

*4瑞の御殿<みあらか>
 
「瑞」とは美しい麗しいという意であり、また、水であり、地上ということを表現している。「御殿」は「御在所<みありか>」の義で、地上の宮殿を指している。

*5天<あま>つ罪国<つみくに>つ罪許許太久<つみここだく>の罪<つみ>
 
 一般には現在省略されているが、神言の古典には、天つ罪、国つ罪を、いちいち名称をあげて例示している。これは明主様のお言葉にもあるごとく、素箋鳴尊様が世を持ち荒し、犯された多くの罪に端を発するものである。そして、「天つ罪、国つ罪」の 解釈には古来いろいろの説があるが、神の定めたまいし神律を犯す罪、人間が集団生活を行なってゆくべきあり方を破る不倫混乱 のもととなる罪、と一応は簡単に考えればよいであろう。「許許太久」とは、たくさんということである。

 それよりも、われわれは、悪と知りつつも犯す罪もあれば、自覚なくして犯す、いや、逆に善と思って、誠をつくしながら、知らず知らずに犯す罪もあることを思うとき、ほんとうの信仰とは、こうした罪までが浄められ、祓われねばならないのである。
そうした点からも、御教えによって浄め、浄霊によって浄め、さらにはまた、祝詞、神言の奏上によって浄め祓う重要性を知らねばならない。