第二章 騒乱の地上平定のこと

此<か>く依<よ>さし奉<まつ>りし 国中<くぬち>に荒振<あらぶ>る神等<かみたち>をば 神問<*1かむと>はしに問はし賜<たま>ひ 神掃<*2かむはら>ひに掃<はら>ひて 語問<ことと>ひし磐根<*3いわね>・樹根立<きねたち>・草<くさ>の片葉<かきは>をも語止<ことや>めて 天<*4あめ>の磐座放<いわくらはな>ち 天<あめ>の八重雲<やえぐも>を伊頭<*5いず>の千別<ちわ>きに千別<ちわ>きて 天降<あまくだ>し依<よ>さし奉<まつ>りき
 
大意

 このように統治をお任せになった地上には、乱暴をし秩序を乱して、暴れまわっている神々がいたので、それらの者になぜ荒れまわるのか、早く改心しなさい、と問いただし、それでも言うことを聞かないものは、追い払い退去させ、また、多くのものが泣いたり騒いだり争ったりしているのを鎮めて、(こうした物情騒然たるありさまが、非情なものにまで影響しているとして、石や岩、立木、草の葉までが騒いでいると比喩法を用いたものと考えられる。また、人心騒然たるときは、自然界にも天候、気候などにも、変動があることを寓意したものであろう)世の中が平穏になるようになされたのである。そして、いよいよ天にある神の玉座を離れて地上に下向されることになり、幾重ともなく重なり合っている密雲を、勢よく押しわけ押しわけて降臨するように、とご命令になったのである。

*1神問<かむと>はしに問はし賜ひ
 
いわゆる言向け和<やは>すということで、なぜ、どうして暴れているのか、と問うてやり、聞いてやることによって、相手の心を和らげることが大切であり、そうして、諄々と大義を諭し、道を教えてやるべきである、と教化のあり方を示されているのである。
                
*2神掃<かむはら>ひに掃<はら>ひ賜ひて
 
 どうしても言うことを聞かない者は、追放する。つまり、集団 生活の区域外に出して、邪魔のできないようにすることである。

*3磐根<いわね>・樹根立<きねたち>・草<くさ>の片葉<かきは>

 岩石や、地に根を深く下ろして立っている樹木、それに草の葉などまでがガヤガヤ言っているということ。この神言には後段にも多く見られるように、このような比喩法を使用して文章を流麗にしていることが多いのである。

*4天<あめ>の磐座放<いわくらはな>ち

 永久不変の神のあられるところ、神の家を出でたたれて、降臨されたのである。「磐座」の「磐」は永久なるということ、「座」は神の玉座と解する以外に、特別の説明を知らない。

*5伊頭<いず>の千別<ちわ>きに千別<ちわ>きて

 伊頭とは「稜威<いず>」の御を省いた形、または「厳<いず>」で勢よく、強くということである。千別きとは「御道別<みちわ>き」であって、強い力を以て、雲を押しわけ押しわけ道をつけて、静まったところにお降<くだ>りになったということになる。

 なお、本教の熱海聖地は、伊豆の国にあるが、温泉<いでゆ>は出湯<いずゆ>で湯が勢よく湧出するところ。それが非常に多い国が伊豆の国であり、そこに本教聖地があるゆえんも、すでに説いたごとく、天津祝詞、神言の御禊や祓の行事に関連して、まことに意義深いものがある。