(二)言霊による浄めについて

 これについても明主様は、

『人間が発する言霊であるが、これもすこぶる重大なる影響を与えるもので、悪に属するもの、すなわち、他人の悪口、愚痴、偽りなどの言葉は、霊界を曇らせることおびただしいのである。──それから、種々の曇りの堆積の量がある程度を越えるとき、一種の毒素が発生し、人間生活に支障をきたすことになるので、その自然浄化が発生する。それが天地の法則である』

『悪によって曇らされたる霊界を、善言によって晴らすのである。この場合善言は光となって曇りを解消する。たとえば、キリスト教においての讃美歌の合唱も、仏教における読経も、神道の祝詞も、いずれも善言讃詞であるから、霊界清掃に役立つのである』

『すべてよい言霊を唱えると、とくに心が浄まる。神様のお名前を言うと余計に浄まるのである。お名前を唱えると、神様がお見えにならなくとも、その神様の家来などがお見えになるので、それをお迎えするので、その意味で神様の名が並べてある』
と仰せられているのである。

 この言霊の働きということについては、現代人はこれを等閑視して、何等の顧慮をも払わない傾向があるが、これを信じ、言葉を慎み、美しくあらしめるということは、わが国民の古来からの信仰の根本のひとつであって、万葉集巻五に山上憶良が、
「そらみつ やまとの国は 皇神の いつくしき国 言霊の さきはう国と
 語り継ぎ 言い継がいけり」
とうたいあげ、また、
 万葉集巻十三 柿本人麻呂が
「しきしまの やまとの国は 言霊の 助くる国ぞ まさきくありこそ」

とあるがごとく、さらにまた、明治天皇の御製にも、
「天地もうごかすばかり言の葉の まことの道をきわめてしがな」
とあって、この言霊信仰がふたつの祝詞の母胎ともなり、中心ともなっているのである。