二 神を知らぬ者

 人類がすべて神を知らぬ者となるとき、この地球は滅びるであろう。聖書にいう世界の終末が訪れるであろう。今や最後の審判は迫っている。

 明主はいう。善とはなにか、神のなかにある。神とともにあるものに悪はない。悪は神を認めず、神をおそれないところからうまれる。十九世紀以来の唯物的思想にたつ科学は神を否定して、神を知らぬ者をつくった。この唯物思想にたつ無神論が悪の根源である。神とともにいないものは獣とともにあるからである。人は科学の功績を認めて、その罪悪に気づかない。科学の功罪を正しく知って、その誤りは正さねばならない。もし科学万能主義が徹底して人類すべてが唯物思想になり、人類すべてが無神論者となって、神をおそれることを知らなくなるとき、おそるべき世界の終末、人類の破壊が訪れるであろう。

 その危機はいま眼前にある。唯物論者の讃美する科学の最も偉大なる発見、原子爆弾の出現を直視せよ。

 「明日の戦争」──それは「未来の戦争」ではない──はこれによって、文明を破壊し人類を滅亡させ、地球自体を崩壊させるであろう。科学のもっとも偉大なる発見が、人類のもっとも悲惨なる破壊となりつつあるのである。

 人類は今その恐るぺき暗い地平線を見つめていることを、世界の有識者は警告しているのである。(左の引用は須江孝雄氏「岡田自観師の横顔」による。)

 アーサー・エス・マックスウェルは、その著「時は迫る」のなかに「これぞ終りなる」という一文を掲げている。「いたるところで、思慮ふかい人々の間で、われわれの文明も終りに近ずいたということが確信されてきた。地球上の二大戦争は、人命財産を手ひどく破壊し、遂に原子力の発見にいたり、かくてわれわれの時代ならびにわれわれの世界が終るまでにわずかな期間しか残っていないと、彼等に信ぜしのるにいたった。わずか二、三年前であったならば、奇妙かつ不合理であると思われたような言葉で、今や彼等は声を大にして叫ぶ。人類歴史の終末は近い」(エッチ・ジー・ウェルズ)と。

 また、ウィンストン・チャーチルは「暗黒時代が帰ってくるかも知れぬ。科学の輝かしい翼に乗って、石器時代が帰ってくるかも知れぬ。警戒せよ、時は短いかも知れぬ」と。

 セント・ルイスのワシントン大学名誉総長で宇宙線の権威者、アーサー・コンプトンは「なんらかの話合にいたらなければ、一九五五年までに、原子兵器により武装された世界が出現するであろう」と、かくてレイモンド・B・フォスディックは「運命の足音は幾多の人々の耳に聞こえる。……時は短い。われらは長き歴史において、われらのなしえなかったことを、僅々二、三十年あるいはそれより少い期間においてするように召されている。火の手はわれらの踵に接してきた」と。

 また、チャールズ・クレイトン・モリソン博士は、「合衆国が今もつている智脳をしぼって、すべての国々に、必然破壊の道をたどる武装敦争を中止するよう勧告すべき時間は、極めて短いということを、科学者は一致して認めている」といい、また「有識者の絶対的大部分は、文明がもう一つの大戦には生存し得ぬということを確信している」しかも「あるいはそのような警告がおそきに失するのではないか。今や文明は崩壊するか ではなくて、すでに崩壊したのでほないか、である」と述べている。
 
 このまま「明日の戦争」に入ればもうおそい。とりかえしのつかない「運命の日」ほその時である。それまでに人類は急いでなさねばならないことがある。「時は短い」のであるからだ。聖書の世界終末の宣言は、ながいあいだ無視してきたが、それは今や生々しい意味をもって銘記されなければならない。それはただ世界の終末を瞑想するだけではなく、それを事実として認めることの正しいことを示しているではないか。恐るぺき 運命と破壊の文字は、今やすべての思慮ふかい人によって、はっきりと読まれるのである。

 これが輝かしい二十世紀の科学のもたらした冷厳なる事実であり、運命の岐路である。科学をのみ信じて、神を知らぬ者のたどるべき運命である。人類はいま運命の岐路にたっている。人類はかなたに恐るべき「暗い地平線」をみつめているが、一方に「明るい地平線」のあるのを気ずいてはいないのである。神をおそれぬ者は人類滅亡への道へ、神とともにある者は地上天国への道へ進むであろう。人類は今や人類滅亡の道をえらぶか、地上天国の建設をもとめるか、その二つのうちの一つをとるべき時期に直面しているのである。

 ヨハネ第一書にいう。「神は愛なり。愛におる者は神におり、神もまたいたまう」と。明主もまた宇宙の根源にはたらくものは愛である。愛は神であるという。神の心に背いて破壊の道にむかうか、神の啓示にしたがい、愛にめざめて地上と天国を建設するか、天の時は近ずいているという。一は神意を無視して、過去の罪業の大浄化によつて自滅するか、他は神の経綸を体して天国を地上に建設するかであるという。