ご参拝のさい、一般に「天津祝詞」を奏上し、特別の祭典時に、「神言」をあわせ奏上するを例とするが、このふたつの「のりと」は、日本民族が、その古神道信仰の唱え言葉として、昔から、伝統的に奏上してきたものであって、その起源については、にわかにこれを定めることができないほど、古いものとされている。
これが文献として残されてあるのは、平安朝時代からのことと言われている。それからの永い時代を通じて、若干の改訂、整理が行なわれつつ今日におよんだものではあるが、その雄大荘重な文章は、わが日本民族の信仰を基盤とする、国民性、家庭生活、社会組織を育ててきた。またそれは、わが民族の過去、現在、未来を物語る伝承、歴史であり、文学であり、予言書ともいうべき貴重な文献であるといわねばならない。
明主様が、そのような古い言葉を、本数における神前奏上詞としておとりあげになられたのは、それなりに深いお考えがあられたものと考えられ、信者としても、そのお心をさぐり、それにお応えしなければならないものと思う。
だが、このふたつの祝詞の全体の文意、および個々の章句の解説については、神道各派の系統により、また、国学者個人によっても大いに異なり、その故実を尋ねる古代史研究の面からも、種々異なった考証や研究が従来行なわれてきた。
さらに、時代の推移とともに国民の生活様式や用語も変化してきて、前記の諸研究書すら、専門家ならいざ知らず、一般人には理解困難であり、ましてや明主様のお気持など、容易に拝察しうべくもないのである。
けれどもさいわいに、明主様は、この点について、つぎのようなお言葉をお残しになられているのである。それは、『天津祝詞の作られたのは、神武天皇の時代よりも古い昔のことで、天照大神の系統の神様、大和民族の系統の神様によって作られたもので、非常に言霊がすぐれている。浄める、天地浄化の言霊のはたらきが強いのである』
『神言すなわち大祓の祝詞は、素箋鳴尊<すさのおのみこと>が天下を統治されたとき、尊の慢心とわがままから、世を持ち荒し、もろもろの罪を犯された。その罪を祓い清めて、祖神のご理想のように、すべてのものが、清く正しくむつまじく栄えゆくために、浄化されてゆく意味の言霊を表わしたものである』という意味のお言葉であって、「浄める、浄化する言霊」ということに重点を置かれたものと信ずることができる。