昭和二十四年九月十七日 光27 ある客との対談

 最近対談した客は、警察方面の重要な仕事を大規模にしている人である。

 客 いま日本は防共に最も関心を持っている。そのため警察力をもっと強化しなければならないが、警察官を増加することはちょっと困難な理由があるので、このままで現在の国警機能をもっと強化させなければならない。万一の場合、最も迅速な連携的行動が必要である。そのためもっか努力中である。

 私 なるほど、それも結構である。当面の急を救うとしては、それ以外に手がないことはわれらも賛成である。しかしそれだけでは一時的で、根本的恒久的ではない。とすればどうしても物質的方法以外、精神的の対象が必要である。それには勿論信仰である。既成宗教では勿論力はない。それは現実が示している。どうしてもいままでにないような新しい強力な宗教でなくては駄目だ。判りやすく言えばこうである。今日の医学である。医学の行なっている方法は、病原はなんでも黴菌としている。それがため黴菌を恐れることはなはだしく、朝野とも黴菌恐怖症に罹っていると言ってもいい。と言うのは黴菌が体内に侵入すると発病するという危険があるからで、これも現在としてはやむを得ない手段である。

 ところがいかに黴菌が侵入しても発病しないという健康体になれば、それで問題は解決だということと理屈は同じことである。つまり共産主義にしろ何々主義にしろ、良いものなら採り入れる、悪いものは排撃するというように、その判別の力を民衆がもてばよいのである。その判別の力こそ、黴菌に犯されない健康体と同様で、言わば思想の健康体である。それには力ある宗教によるよりほかはない。故に警察強化と宗教強化と相まって進むことこそ理想的である。

 客 よく判りました。貴教も大いにやってもらいたい。

と言って帰った。

「『光』二十七号、岡田茂吉全集講話篇第三巻p317」 昭和24年09月17日