兄の猿翁と二人で教祖様にお目にかかったことがありますが、その時初めて教祖様が、私どもと同じ浅草のお生まれだということを伺い、兄も浅草の思い出をなつかしそうにしていました。教祖様も千束町にいらしたことがあるとかで、私どもと同じ町内というわけで話は尽きませんでした。
教祖様は猿翁の家をよく知っておられました。兄をじっとごらんになりながら、『あんたは芸術家で、肉体を非常に駆使するのだから、からだを大事にしなければいけない』とおっしゃり、そばへ来られて、肩に手をかけられ、揉むような格好をされるのです。
そして、『この肩の凝りをほぐさなければいけない』と、一生懸命うしろに廻って揉まれました。その仕草が、なんといいますか、親が子に対するような、また、兄が弟にするような慈雨溢れたご態度で、その時の教祖様の心の広さといいますか、温かさが、非常に私の印象に残っております。いまでもその時のお姿が目に浮かびます。
ところで、私は宗教も芸術も、極致はひとつであると思っていますが、教祖様は、芸術の面でも傑出されたお方だと感心しております。
大変失礼な申し上げようですが、教祖様として拝見しても、立派な資格をおもちになっていらっしゃいますが、一個の人間としても、まことに人間味が溢れていて親しみが感じられ、雲上人というような感じが少しもありませんでした。
宗教家というのは、人間をリードし、人間を包容していくのですから、人間らしくあるというのが一番必要なことで、その点から言ったら、教祖様はほんとうに人間らしい方であったと思います。これからの宗教家は、すべからくそうあるべきだと、私は思います。西行や沢庵なども、非常に人間味の豊かな人だったと本に書いてありますが、それがほんとうでしょう。教祖様は、その点理想的な方でした。