赦し主

 それから神憑りについて昨日私は話したが、大変良い話しだったと言う人がありましたがね。それと、私は神様は拝まないんですよ。何の宗教でも、今まどんな教祖でも、必ず神様を拝んだものです。それを、私は拝まない。

 というのは、私に憑いている神様は、一番高級だから拝むものがないんです。みんな下ですからね。それからもう一つは、よく神様に御伺いを立てるとか、あるいは神様に御知らせを戴くとかして言うんですがーー大変有り難く思うんですが。

 私は簡単に、普通の事の様に言うんです。うっかりして軽く見るんですね。そのために忘れちゃったり、うっかりして、何かあった時、これは先に明主様に御注意戴いた事がある。御言葉にある。と、気付く事が、誰方もあるんですがね。

 私は神様に御伺いして、それを御取次するんでなくて、私の口から出る事は、神様自身が言うーーこういう事になるんですね。最高の神様ですからね。だから、私か神様に御願いするとか御伺いするとか、そういう事はないんですよ。

 そこで、御守なんか書く時に、普通なら何の宗教の教祖でも、そういう時には、羽織袴で祝詞を奏げるものですがね。

 私なんかそうでない。夏なんか裸でアグラかいてやりますからね。見る人は有難く思いませんよ。私はそれで良いんですよ。神様自体が書くんだから、どうしようもない。

 こういう事は今まで言わなかった。そういう事も心得て良いですね。

 もう一つ例えて言えば、信者の人で色んな奇蹟をやりますが、奇蹟も、やっぱりキリストがやった位の奇蹟は毎日やってますからね。これは、時間があったら読もうと思ったが、時間がないから止したんですが、キリストの奇蹟以上の奇蹟ですよ。これは全然理屈がつかない程の奇蹟です。(中略)

 そんな訳で、私の弟子がキリスト位の奇蹟をすれば、やはりキリストも私の弟子になるんです。それをはっきり分かって居なければ、キリスト教信者なんか誤解します。

 というのは、もう一つ言っておくことは、キリストは贖罪主(しょくざいぬし)なんです。贖罪主と言うは、一つの会社なら専務ですね。専務みたいなものです。もし会社で色んな過ちがあったとしますと、専務が代表者になって、許してくれと言って社長にお詫びします。贖罪主というのは、そういうものです。万民の罪を御自分が負って、万民になり代わって十字架にかかる。

 贖罪主とは別に、社長ーーすなわち、よし許すと言う、許し主がなくてはならない。

 私は赦し主なんです。ですから、そういう点は非常にーー主人と家来程違うんですね。

 こういう事も、今までも言いたかったんですが、余りかけ離れているから、誤解されますので言わなかった。明主様は、誇大妄想的な脱線だ。と、未信者は言いますから、言わなかったんですが、もうソロソロ言っても良い時期になったので、言ったんですがね。

 そういう事も知ると、余計色んな事がはっきり分かる訳ですね。その位にしておきます。

「御教え集第9号」 昭和27年4月6日

御教え集