明主様が、御教えとして遺しておかれました御論文は、厖大(ぼうだい)な数になりますが、この御論文は、すべてご 口述の形でまとめられるのが常でしたが、口述されたものは自ら加筆され、どう表現したら、もっとも信者にわかってもらえるだろうかと心を砕かれ、何度も何度もご推敲になられました。
そして、もうこれ以上平易な説き方はないというところまで推敲され、多い時には二十回以上も訂正されることもありました。さらに、その推敲された原稿を、口述筆記のお手伝いをした私に読ませられ、その御論文の内容について、『意味はわかるだろうか。こういう表現で信者はわかるだろうか。おまえはどうだ』といった調子で、私ごときものにまで批判を求められました。
それに関連して、私が御面会の席上、御論文拝読の御用をいただいてまもなくのこと、ある御面会時に『寸鉄』を拝読しました。ところが馴れないため、おもしろい内容でありましたが、信者があまり笑ってくれませんでした。
御面会が終わって、早速お呼びになり、『せっかく、私が信者に喜んでもらおうと思いつつ作ったのに、おまえの読み方が悪いばかりに、信者が笑ってくれなかった。残念だが新前だから仕方がない。これから気をつけてくれ』とご注意をいただきました。そして、間のとり方、語尾の上げ下げなど、ご自分から手本を示して教えて下さいました。
明主様の御前で、何度も何度も繰返しさせていただきますと、『ウン、大分うまくなった。その調子でやってくれ』と仰せられ、明主様ご自身眼に涙を溜めてお笑いになられ、聴いて下さいました。