昭和二十五年四月の熱海大火の時、仮本部のあった清水町一帯も全焼したなかに、ただひとつ仮本部だけが、ちょうど絶海の孤島のようなあんばいで焼け残って、信者一同を狂喜させたんですが、それでも、玄関の前二、三メートルの松まで黒焦げになっていました。それが本館にはなんの被害もなかったのです。しかし、ご門をはいってすぐ左の所にあった、光新聞を編集していた建物はきれいに焼けてしまいました。その焼け跡の灰の中に、光新聞が高く盛り上がって焼け残っていました。それが全部明主様の御写真が載っていた光新聞創刊号のお姿の部分だけだったのです。
その焼け残ったのを、先生方が一枚ずついただいて、いまさらに信仰を堅めたものでありました。